写真が その時の我が家です。
勿論、その時は既に父親は勿論母親も居なかったのに加えて、兄、姉、達も、別途 離れた箇所に移転していたわけで、問題は無かったのですが、ともあれ、その姿の あまりにもの凄まじさにホント腰を抜かしましたね。
その家が何故放置されたままであったのか、それには山形市の都市計画も絡んでいたとかの、情報も耳にしていた事もあって、腰を抜かしたとは申せ、すぐに納得は致しましたが〜。
現在はどうか?〜察するところ、あの辺一帯には何車線かの道路が、ホレ見ろ!〜と云わんばかりに 輝きを伴って、スースーと 通っているのではありませんかナ?〜。
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