2011年7月31日日曜日

聖徳太子

 
 
 有名な聖徳太子の絵姿です。

 この絵で問題なのは、とにかく聖徳太子のツラ(正確には首から上)が下半身に対して大き過ぎるのですよ。足首のあたりを見なさいな。これでは小さ過ぎて」纏足(てんそく)と思い違いしてもヤムを得ない足です。

 とにかく、このままでは、走れ!と号令をかけたら、すぐ前につんのめって転んでしまうと思いますね。
 聖徳太子が転んだら、どんな顔するの?。

 とにかく、基本的なデッサンがなっていません。
 尊いお方だけに、デッサンに於いても もう少し慎重にすべきでしょうなあ〜。

臭かった!--。

 
 
 これも、当時の人々の姿を描いてある「講談社の絵本」からですが、推測の範囲では、衣類の洗濯と云っても、そう頻繁に行っていた筈もなく、従って、もう何ヶ月と過ぎたまま着用していたと思われるので、天下の美人美男子とは申せ、近寄れば物凄い臭気で鼻も潰れる思いがしたのではありませんか?。

 夏などは、どうしたのでしょうね。裸になるわけにも いかなかったわけですから、それを避けるための方法となれば-------これでもか!とばかり衣類に香水を振りかける、それだけだったでしょうね。

 ともかく、着物の裾くらいは、地面を這わせてはいけませんなあ〜 -------- 汚れて臭くなる上に、アリンコだのバッタなど引き込んでしまったら、腹の上まで、這い上がって来て、更に モソモソしたでしょうよ。

 まあ〜ともあれ、モソモソ〜 たる気味悪さ も加えて、洗濯もせず鼻も潰れる思いをしてもまで、衣類を着続けていたわけで、その時代ならでの苦労が思いやられる------と想像した次第でした。

遠近法

  

 
 昔々の「講談社の絵本」から「源為朝」の絵ですが、ここでの絵は、すべて古式に倣って、遠近法を用いてはいません。従って、居間の敷板を見れば分ると思いますが、ご覧の通り、手前も奥も、同じサイズで描かれていますね。
 加えて、人物も同じで、遠くの人物も、手前のも、全く同じ大きさですよ。
 本来であれば、おかしいと思う筈ですが、別に そうとも感じませんね。

  ---------と云う事で、画法では絶対的条件である遠近法も時と場合によりけり、と、日本画では、全く無視のまま現代に至っているケースもあると云う事なのでしょう。

東京日々新聞

 
 
 その昔、我が家に配達されて来る新聞は「東京日々新聞」でした。わけのわからぬ子供時代でしたから「東京へび新聞」と呼んでいましたね。

 東京日々新聞(とうきょうにちにちしんぶん)

 とうきょう‐にちにちしんぶん

 明治5年(1872)に創刊された最初の日刊紙。
 その後 同44年大阪毎日新聞に買収され、昭和18年(1943)毎日新聞に紙名を統一。

 載せたのは、検索でお借りした「東京日日新聞」の 大東亜戦争 開戦の日の 同新聞。この私もこの新聞で開戦を知ったわけです。
 因に、ラジオは当時の我が家にはありませんでしたから。

11年前の広告紙

 
 
 西暦2000年を記念して保存してある当日の広告紙。現在からは、もう11年前になりますね。
 この広告は畳半分くらいあったような気がして、実際に畳の上に広げてみたのですが、まあ〜それ程の大きさではありませんでしたが。

 それでも、これと同じ大きさとなると、現在は あまり見かけたような記憶もないのですが。

 --------いずれにせよ、中身を見る限りに於いては、それ以来今日迄のいろんな商品の変遷が思い出されて、結構 面白いものものでした。

 これから更に10年後にも広げてみたいと思うのですが--------勿論100歳迄生きるつもりですから、ラクチンな筈(!)、その時は改めて再度ご披露申し上げましょう。

あの頃の今頃

 
 
 昭和二十年七月三十日 読売新聞
 「B29三百四十機各都市焼爆」
 「青森へ百二十機 東海へ百六十機 海南、宇和島に約九十機----- 更に六百八十機中国に侵入 呉市付近 大型五十機、小型六十機〜。」

   敵は やり放題!、味方は死骸の山を築く〜〜たまったものではありませんよなあ〜〜。
  (当局は何を申していたか?。)

 「首相 ---- “ 冷静に、軍を信頼し 待て敵撃滅の好機 空襲激烈下 生産力は十分 ” 」
 ---------- もう、誰も本気にして聞いてはいなかったでしょう。

散歩道から 07-31

 
 馴染みのアングル。
 今朝は 残り梅雨?なのか、 雨模様雰囲気でしたね。

 
 散り始めた花が多いので、小さな季節の変わり目なのかも。

 
 ここは、視界が開けていて、野外ならでの開放感を感じる空間-----結構 気持ちがいい場所です。

2011年7月30日土曜日

地球に異常が

 

 

 今夜のテレビニュースからですが、今回の雨は「----記録的豪雨---」との事。
 この “ 記録的云々 ” のフレーズは、最近いろんな場面で聞くような気がすしますね。
 それだけに、記録的現象が次々と続いているのだとしたら、この地球それ自身に何等かの異常が生じていると見るしかありません。
 それは何によって齎されるのだろうか、地球自身の変化によって生じる--------単に これでしょうね。
 それって何でしょうか?---------ちょっとやさっとで説明のつかない単純であれ微細な現象の連続だと思うのですよ。
 --------いずれにせよ、それが何であれ、人智をもってして解決出来る範囲のモノであるとは思えません。
 どうなるか?、とにかく奇妙な現象が連続して、又は絡み合って発生し続け、挙句の果ては、人類は、それに対応出来ずに死に絶える------これでしょうよ。
 でもねえ〜その異変が最終段階に到達する迄には、私や、私の子や孫、曾孫、このあたり迄はとっくに寿命が来て、それぞれが死に絶えているでしょうから、改めて心配する必要はないとは思いますが。

 載せた写真は今日の TVニュース から。

一天俄に---。

 

 
 一天俄にかき曇り〜〜------その文言通り、物凄い勢いで雨が降り落ちて来ましたね。
 ただ、それから一時間足らずに、さア〜〜と雨は立ち去り、目下のところは落ち着いているようです。

 このような雨の降り方は、温暖化の進展が急ピッチで進んで来ている何よりの証拠でしょう。
 これから先、ウン10年後には、どのような展開を示すのでしょうかね。

手持ちのCD

 
 PCの隣目に置いてあるCDとプレーヤー。
 前にも書いたと思うのですが、私のコレクションの中には、交響曲、協奏曲------それらは余りありませんね。多いのは、各種ソナタ類、アリア------そんなところ。
 つまり、短い曲を多数入れてある、となると、途中で切っても影響はありませんしね。それが大きな曲では、途中で止めるわけにもいかなくなって苦労する-----それがあったればこその選択でした。

 
 これがCDの現状在庫です。
 あの頃以来、もう長い間CDを買った記憶はありません。
 それ程熱心なマニアでもなかったので、このへんで収まったのでしょうが、云えば、これらを買う迄もなく、現在は、このPCであっても、名曲は自由選択で結構聴く事が可能になっている、と、これが最大の原因でしょうね。

窓からの眺め 雲

 
 

 

 
 なんとも、毎度お馴染みの 窓から見た雲の姿、実に芸術的??です!〜〜。
 それにしても、あの雲々は、滅多な事で、こちらの空を覆うには到らないのですが、それが又奇妙ですナ!--------。

居間のテレビ

  
 居間のテレビ、別に異常ナシですが。

 
 ゴロリと横になると、この花瓶が チョイ邪魔。

 
 ドラマは論外で、大雨関連情報が気になる次第。

 
 大雨情報が分かると、目下、チャンネルは これの方でしょうね。

藤村操 巌頭の感-2

 藤村 操(ふじむら みさお、1886年7月 - 1903年5月22日)は北海道出身の旧制一高の学生。華厳の滝投身自殺した。自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって当時のマスコミ・知識人に波紋を広げた。
 以上、入れ忘れましたので-----。

藤村操 巌頭の感

 
 
「巌頭の感」
 それがこれ、入れ忘れましたので。

藤村操

  

 

 若くして華厳の滝に飛び込み自殺した 藤村操、その時記した「巌頭之感」、有名な文言でしたね。

 巌頭之感
悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。

以上---------それはさておいて、その時の彼は和服姿で飛び込んだ(袴姿だったと思うのですが)との、絵を何度か見て知っているのですが、現在の検索からでは出て来ませんね。

ここはやはり和服姿でないと感動を共にするのにムリが生ずると思うのですが、いかがでしょうか。

ゲーム器 3

 
 
 下記と同じ紙面からですが、当時の人気歌手達なのでしょうが、思えば、現在に至るも名のある曲であり歌手なのではありませんか。
 このような紙面も、更に、これから〇〇年先となったら、どのように書き換えられているのでしょうね。

ゲーム器 2

 

 
  下段の続きで、ゲーム器やら、そのソフトの広告でしょう〜。

 ともかくも、幸か不孝か、私共は その年代でもないし、息子も その年代は過ぎていたし、孫二人は 女 と云う事で無縁に終わりました。
 当時は、何やら 日本国中、これに煽られていたような感じをしていましたが?〜〜ともかくも、それに無縁の私など、多少、肩身が狭かった〜、とか、そんな、隠れた記憶もありますね。

 ------現在はどうなのか?〜全く分かりませんね。

ゲーム器 1

 
 PCゲームと云っても、それで遊んだ事は全くありませんが、以下は、それをもって懐かしいと感じる御仁もおられるか、と思い載せてみたものです。

 

 
 以上、2000年正月の新聞入れ込み広告からでした。

2011年7月29日金曜日

外の景色


 

 我が家のベランダからの眺めですが、感じからでは、空がもっと暗く、家々だけが日没に近い西日を浴びて明るく、くっきりと浮かび上がるように見えた----のですが、画像補正を重ねても、その感じは どうしても出ませんでしたね。

散歩道から 07-29

 
 今にも雨が降りそうな空模様でした〜。

 
 向こうの空は、もう真っ暗-----。

 
 外灯が 点きはじめましたね。

 ------- 雨が降り出したのは家に戻ると同時でした。

ハワイ攻撃の作文


 隼に乗って (旧仮名使い)小学校四年時
 一 ハワイ攻撃
 日本晴れの朝である。烏が「かあ〜」と鳴いて通り過ぎて行く、けたたましいラッパの響き 全員集合だ「番号」「一、二、三、四、五、六、-------」次は隊長の話。
それによると、いよいよ日本と米英の戦が始まったといふことである。
 航空母艦に乗って、めざすハワイへ 堂々と進む。ハワイは刻々と近くなって行く。〇時〇分いよいよもってハワイ攻撃である。
 隊長の訓示をうけると、まちにまった 我が雷撃機隊の出動である。隊長が旗をふると、一番機は みごとに かっそうして飛びたって行く、
 全部の雷撃機が飛び立つと、我が「隼」戦闘隊である。二隊が飛び立つと航空母艦は向ふの朝ぎりの中へ消え失せてしまった。
 この戦爆れん合の 目へう(目標)はハワイの真じゅ湾である。
「よし」といって、僕は白はちまきをしめなほした。そして さうじゅうかん(※操縦桿)を右へまはす(※ 廻す)、機は右へまはる。
 陸地が見えた めざすは、しんじゅ湾である 時は〇時〇分「突っ込め!!」の命令である。下を見れば アメリカの艦隊の戦艦が群れをなして うかんでいる。
 先頭は カリフオルニヤ型 メリーランド、オクラホマ 、ネグアダ、ユタ、ペンチルバニヤ、ペンサコラ、オマハ、ノーザンプトン、かぞえきれないほど群をなしているだが、
それは、またたくまに姿をかへてしまった。カリフオルニヤ メリーランド オクラホマ ネグアダ ユタ型はじめ多くの ものが げきちん(「註」撃沈)されてしまったのである。
 たほるる(「 註 」倒れる)船 ちんぼつする船 ひっくりかえる船 我が「隼」は雷撃が、おはる(「註」おわる)まで、空中で見張りをしている、どこからともなく「ポンポン」と敵の高射砲弾が炸れつする。すると こしゃくにも敵の戦闘機グラマン機が群れをなして飛んで来た。我が「隼」は「よく ござんなれ、相手に、ふそくはなし」といはんばかりに飛びかかっていった。
 敵機は、嵐の落葉のやうに落ちていく。ただ、まふ(「註」舞う)のは日の丸の銀翼 それを見とどけながら戦爆れん合隊は堂々とそれを引き上げていったのである 
 二、ビルマ戦線
 三、内地にて
 四、レイテ島
 五、レイテ湾
 ※上記は省略
 なお、「隼」は陸軍機なので、航空母艦からの離発着は無い。まあ〜認識不足の点はお見逃しの程。
 加えて、これを書いたのは開戦後2年を過ぎた小学校4年とあって、それなりのノスタルジアに駆られたせいもあったでしょう。

湧き水の川-2

 
 
 下段の写真をもとにして私が描いた水彩スケッチ画。いずれにしても ざっと20年前の絵。

 右端の子は、サービスで つけ加えた当時の上の孫娘------その孫も、間もなく出産との事。
 まさに 光陰矢の如し、ですよ〜〜。

湧き水の川

 
 
 私が住むこの場所は、野火止台地と称する小規模ながらの台地の上、従って川の流れはありません。一方、それだからこそ、人工の川「 野火止用水 」が流れているわけです。

 ただ、この台地の端の方に降り立ってみると、確かに、湧き水を集めて流れる川があります。
 載せたのは、その一つ落合川の源流?を訪ねた時の写真です。
 --------それにしても、長い間、川の無い場所に住んでいるわけですから、改めて、ここが「川」だ となると、妙に不思議に感じるものでしたね。

なでしこ

 
 “ なでしこ ” とは、子供の頃より、よく聞く花の名だったでしょうが、 そう云われても、
 一体どんな花なのか、考えた事もありませんでしたね。
 今回、検索によって、なんと!生まれて初めて その姿を見る事が出来た次第でした〜。
 ------------こう書き出すと、やっぱり、なんか おかしいのかな、自分では、おかしいとは全く感じませんがナ〜〜。
 ともあれ、その意味を更にネットで調べてみたら、「撫でし子」、これは、撫でるように可愛がる、から来たもの、との事。

 戦時中は「大和撫子」の言葉が頻繁に出て来ましたが、当時から妙な言葉だ、との記憶が残っています。

 以下wikipediaより。 さすが忠君愛国に結びつく解釈は為されていませんね。
 ナデシコ(なでしこ、撫子、瞿麦)はナデシコ科ナデシコ属の植物カワラナデシコ
(学名:Dianthus superbus L. var. longicalycinus)の異名。またナデシコ属の植物の総称。秋の七草の一つである。
 蘧麦(きょばく)。
 ナデシコの花言葉は 純愛・無邪気・純粋な愛・いつも愛して・思慕・貞節・お見舞・女性の美・など
 女性的なイメージが強いが、才能・大胆・快活なども。
 ただし、ヤマトナデシコの花言葉は、可憐・貞節。
 ------------ 以上でした。

記録画集

 

   
  各册の裏表紙に貼付してある全册の表題

 前にも載せたと思うのですが、若い頃となると、仕事から家に帰ったところで、新聞読んで、メシを食って、風呂入って、テレビ見てオワリ--------まあ〜そんな時代が続きましたよ。
 申せば現在であっても、それに右倣え、の、同じような御同輩も結構おられるのではありませんか?。

 -------そんな受け身一辺倒の生活からの脱却の一つとして、何でもいいから、絵双紙?のようなモノを創り、記録画集として残そうと考えて作ったのが、手作りの本、全62冊でした。

 62冊と云っても、大変な量で、そのまま積んで押し入れに入れては底が抜けるとも思い、分散して収納しているくらいですよ。

 その量はさておいて、質の点では、いかがなものかと首を傾げる冊子も確かにゼロではありませんが、ともあれ、それを少しずつでもブログにアップして行きたい--------と、これが目下抱いている心境ではありますが。

 勿論、既にホームページに載せた「終戦前後2年間の新聞切り抜き帳」を始め、ここのブログに於いても、多少なりとは実現させているわけですが、より一層頑張っていきたいもんだと、決意を新たにしている昨今でございますので-------よろしくご理解の程〜〜。

2011年7月28日木曜日

電柱工事

 

 
 今日は昼前後か、この二階の窓のすぐ向こうに、電柱工事があって、それによって、結構雑音が入って来ましたね。
 勿論のこと、何をどう工事したのか、中身については全く知りませんが、終わったあとに多分これを取り付けたのではないか、と思って載せたのがこれです。

 一見したところ、二本のカメラのように見えたのですが?------とすると、その視線の先の駐車場にピントが合わせているようでもありますが?。

 まあ〜それがそうである筈はないし、無論 違うとは思うものの、退屈紛れに、仮に そうだと思ってみると、結構 想像逞しく、いろんな事が見えて来たわいナ、と、その妄想に、 暫くの間 面白半分に耽って楽しんだ次第でした。

 -----------然し、ホント申して〜〜 これって何なのでしょう。

散歩道から 07-28-2

 
 
 散歩道からですが、こうしてみると、私は単なる “ おっさん ” ですよナ------。

救世観音-2

 
 
 確かに、このお顔立ちが美しいとは云えないでしょうなあ〜〜。
 いかがでしょうか?。
 仏像には醜男もおられる、との事実を忘れないと同時に、だからと申して、その心の中となると、面相の美醜にはとらわれない---------それは、我々人間にも、そのまま通用する ----と、 その事実も忘れない事でしょう。

救世観音

 ------- 仏像は どれであれ美しいのか?。 

 
 ここで私が展開している論拠は、法隆寺夢殿の「救世観音菩薩像」は、美しいどころか、醜男である---------と、この点について、です。
 確かに そうですよなあ〜〜。いくらなんでも美男子ではありませんよ。

 実は、この論拠を申されたのは、当時の 確か梅原猛先生でしたね。

 その先生のハナシはTVでかなり長く続けられたとの記憶があるのですが、その度毎にうーんと唸る程に説得力がありました。

 それはそれとして、醜男のみならず、中には確かに美しい顔立ちの菩薩像もあるとして、右下に、その写真を載せておいたのですが、そちらの方は、無名の像でありながら、間違い無しに美しい お顔立ちですね。

 -------- そう思われませんか?。

猫についての哲学

 
 
 常に自然体であること。
 義理人情の人の世とは無関係に生きる。
 肉食と云う極端な偏食で栄養のバランスが取れている。食物は常に常温のものを食う。
 相当の怪我 病気でも、自然に治癒するので薬用品は一切不必要。
 外敵から襲われたりしない限り死の恐怖を予測する事はない。
 通常の場合は天寿を全うする。自殺などをするバカな猫はいない。

 
 
 かって我が家に居た「にゃんこ」。
 なんでもない写真ですが、何となく “ マチス ” の絵に似た雰囲気を感じたものでしたが?、

誕生月

 
 
  川崎敬三 司会者
  相川浩 アナウンサー
  山内秀一郎 JR東日本元会長
  石川進 歌手
  河西昌枝 バレーボール選手
  淡路恵子 女優 ----------(載せた写真「野良犬」から)
  吉田義男 プロ野球選手 タイガース
  ※ 以上、私と同じ誕生年月の有名人でした。

散歩道から 07-28

 

 

 どこを歩いても、ご覧の通り、緑が溢れていますね。