2011年6月30日木曜日

窓からの眺め

 
 窓を開けると凄い熱気が飛び込んで来ましたよ。

 ------ 堪りませんネエ!〜〜

 今は梅雨時で、時に豪雨があっても不思議ではない頃---------然し、ともあれ、現実としては豪雨どころではありませんね。

 いずれそのうち地球も---- “ メルトダウン! ” ------してしまいそうですよ。

平林寺-3

 
 
これが下のコメントを載せたページ。
これらの続きは出来るだけ載せて行きたいとは思っているのですが-------。

平林寺-2


  

 
 「平林寺の不思議」は、こんな点からスタートした次第でしたね。
 まあ〜このような疑問点を解くとなると、とても私一人の個人のアタマでは解決し切れない、と途中でも思いましたよ。
 〜まあ〜そんな ところでしたなア〜〜。

地震がありましたが-2

 
 
 下の写真、無事入りましたねえ〜〜!!。
 どうしてだったのかなあ〜〜?。

 因に画面の方は、前者共々 ドナルドキーンさんです。
 何故キーンさんだったのか、勿論理由はあったのですが、忘れてしまいました。

地震がありましたが、

 
 
 これは昨夜の事で、テレビ画面をカメラで写したモノを、ここに載せようと思ったのですが、何故か入りませんでした。
 載せようと思った写真は何枚かあったので、組み合わせを変えたり、大きくしたり小さくしたり、いろいろ工夫もしたのですがダメでしたね。

 何故?〜だったのか理解出来なかったものの、現在、再度やってみようと思った次第ですが、まさか、その地震のせいでもあったのでしょうかね。

 -------- 入ったら、御喝采の程を?〜〜〜。

平林寺-1

 
 
 私の住む ここ埼玉県新座市にある平林寺は、有名なお寺だと聞き及んでいるので、確かにそうではあるにせよ、見た限りに於いては、それ程の格式のある寺とも思えませんね。
 とにかく普通のお寺で、別に おかしな点も見当たりませんが、ただ、強いて云えば--------との観点から眺めて見ると、結構奇妙な箇所が目につくものです。
 どうしてそう見えるのか、勿論、そう見えるのは私だけである---と、そうも思ったり、いやいや何か根拠もあるかも知れない------とかとか-----そんな事を、いろいろ考えるだけでも楽しさは倍増していくものだと納得したり-------。
  ------そんな気持ちから、書いてみたのが、かっての「平林寺の不思議」でした。

 但し、ここでは、別にそれを中心にして何かを論じる?、と、するものではありません。
 単に、普通に、当たり前の立場で、いろいろ眺めてみようと思っただけのものですので〜〜。

2011年6月29日水曜日

散歩道から 06-29

  
 伸び放題の雑草が綺麗に刈り取られていました。「売り地」だけに気を使っているのでしょう。

  
 別にその気もなくシャッターを押しただけのもの 〜〜 空が綺麗でした。

  
 それから何分後でもないのに、見上げれば、〜 一天俄にかき曇り〜 雷鳴も轟き始めましたね。

 但し、家に戻れば、残念ながら、期待の雨も降らず、黒雲もアッと云う間に消え去っていました。

庭の園芸

 
 
 我が家の庭の園芸------と申し上げる程のモノでもありませんが、これを並べた最初の頃でのアップがあったと思って、遡って画像を探したのですが、出て来ませんでしたね。

 これに限らず、何事につけ、以前の画面を探すのにチョー苦戦するのですよ。最大の原因は、その量が多過ぎる事にあるのですが、そうかと云って、予めそれを予想して、題目だけでも手許に残るようにしてみては、とか、とか、いろいろ策を練った事もあったのですが、いずれも成功せずに現在に至っていますね。

窓からの眺め

 
 
  現在での窓からの眺めです。
 -------暑そうですなあ〜〜。

 因に、以前、私のマイカー時代、真夏では、クルマの窓は、一カ所でいいから、指一本入らない程度に開けておくように とクルマの営業マンに厳しく云われていましたが、現在、見渡したところ、いずれも密封状態のようでした。

 まあ〜、その状態でドアをあけると、それだけで、“ 地獄の釜ゆで ”------の気分に陥った如く、物凄い熱気に遭遇したものでしたが---------。

寒暖計

 
 今日は、朝から猛暑になっているのですが、考えてみれば、現在の我が家には温度計が無いのに気がつきました。 以前はあったような気もしたのですが---------。

 ともあれ、温度計を検索してみたところ、出て来たのは デジタル温度計が大半のようでした。
 --------------〜〜時代を感じましたねエ〜。

  
 昔々の我が家では、柱時計の下に、水銀柱式のが下げてありましたよ。
 思えば、その下に立って、背丈が どれだけ伸びたか、母親に計ってもらった数度の記憶が蘇りましたね。
 -----------現在に至るも、そんな中身の童謡があったとも憶えていますが。

 それに限らず、同じような記憶を持つ中高年の方々となると、今に至るも結構多いのではありませんか?。

 因に、山形市で、私が生まれた昭和〇年の〇月〇〇日の前後の何日だったか、その日は、つい最近迄、日本での最高気温を示した日として記録されていました。
 母親健在の頃、その日の記憶を聞きただしてみたのですが、そんな記憶など全く知らなかった、と、まあ〜予想通りの返事が返って来ただけでしたが。

 当時から「温度計」は「寒暖計」と称しているのですが、現在は「寒暖計」では通用しない時代なのでしょうかナ?-------。

2011年6月28日火曜日

YouTube から

 
 ロボットがバイオリンを弾くとやら、聴いてみたら、まあ〜そこそこでした。

 それにしても なア〜、誰が考えて、誰がここまでやって来たモノやら、カネもかかったであろうし、本当に ご苦労さんとやら申すほかありませんでした。

 
 ------おそれいりました。

散歩道から 06-28

 
 これは階下の窓からの写真。
 今日はモーレツな暑さでしたね。

 
 地ベタの アスフアルトも焼けているので、家の近く、なるべく影を選んでの散歩でした。
 上の写真の場所と、ここは それ程離れてはいないのですが、空を含めて家並がモノクロに近い色調で写っていますね。--------どうしてなのか分かりませんなあ〜〜。

ムンクの「叫び」

 
 
 ノルウェーの画家 エドヴァルド・ムンクの「叫び」。

 絵の中の人が叫んでいるのではなく。
 血のように赤く染まった空が。
 夕暮れの入り江に覆いかぶさるようにして発する。
 自然の叫びに耐えかねて。
 人が耳をふさいでいる様子を画いたものだ。

 ----------------------------

 以上、解説にはそうありましたが、私としては、ここはやはり、その人物の叫びでないと、感じが出ないし、そう考えたいですね。

 とすると、どんな叫びか?、その口の様子からですが、それは「ヒャ〜〜!」ではなく「オヒョ〜〜!」に 近い音だったのではありませんかナ?。

 但し、それには、どんな意味があったのかは見る人々によって様々でしょうから、叫びではないとする説も勿論含めて、すべてお任せしますが。
 ともあれ、いろんな意味、解釈があって結構だと思いますよ。

ルーブル美術館

 
 
 前にも書き込んだと思うのですが、それはそれとして、 パリ 「ルーブル美術館」に入って、すぐ、足下近くの 右下に、最初に目にした絵が、この「ガブリエル・デストレとその妹」でしたね。
 ルーブルには、それ以来 行っていませんから、今に至るも記憶は明瞭に残っています。

 ありゃりゃ〜〜と思いましたよ。

 尤も、若い頃でしたから、現在もそうであるとは思えませんが、以来、この絵が私の記憶には明瞭な形の記憶として今に至るも残されていると申す次第です。

あざなえる縄の如く

 
 
 「アテネの学堂」ラフアエロ
  正面右 アリストテレス
    左 プラトン

 
 キリスト「最後の審判」ミケランジェロ

 「ギリシャ哲学」と「キリスト教」、それこそが、有史以来、あざなえる縄の如く縺れ合いながらヨーロッパを支配して来たと云われていますね。

 まあ〜ここでは、取り敢えず、それだけを申し上げておきましょう。

ボッテチェリの名画

 
 
   ボッテチェリの名画です。
 これを知ったのは中学か高校か、その頃でした。
 ともあれ、一見して、これでは顔が小さ過ぎる!と思いました。手のヒラと顔全体が同じ程度なのですよ。
 ----------- そんな事にこだわる年頃でしたね。

  以上、前に載せた時のコメントですが、それに加えるとして---------以下。

 首が長過ぎる。

 左上、抱きついている女性の首もおかしいし、右足もどうなのか、これでは絶対におかしい----------加えて男性の長過ぎる胴体と足のバランスも、云えば 変な感じ。

 --------------いかがなものでしょうね。

何の写真?−2

 
 
  最後の姿は、こうなりました。

何の写真?。

 
 何の写真でしょうか?。

 
 この時、ビルの住人が窓から飛び降りる写真!!------でした。

デジカメ

 
 私が現在使用しているデジカメです。選んだ理由は胸ポケットに入る大きさ-------これだけだったですね。その前に使っていた機種が、それが出来ずに、結構不便を来していたのです。

  勿論、望遠もバッチリ可能です。

 
 これは別機種ですが、現在の私のと同じように、バックが全面フアインダーになっていて、これが便利です。つまり覗く必要がありませんね。

 
 これも検索から お借りした画像、------- ご覧の通り、PCへの接続はこれでOK。

 まあ〜それぞれの方々には、それぞれの自慢点があるのでしょうが、私の場合は以上です。

 そんな事で、SONYさんから、PRと云う事で 、金一封 100万円!くらい頂いてもバチは当たらないと思っている次第ですが?-----------。

窓からの眺め 続

 
 昨日の午後

 
 今朝、
気象条件としては、殆ど同じような空模様かな。
 ----------何が違うかな? 全体の色調でしょうね。どうして変わるのか? それは その時々の「温度」以外に思い浮かばないのですがーーー。

 -----------とすると、我々は、温度の変化につれて、いつもながら異なるカラーの世界を見ている--------となるわけですが、それが正解なのでしょうナ。

 ただ、これらの論法に深入りすると、最後には、抜け出せなくなって結構 痛い目に会うのではないかな?。

2011年6月27日月曜日

窓からの眺め

  「カメラのテスト」を兼ねて-------。

  
 現在時点での窓からの眺めです。
 肉眼では、ほぼ真っ暗で識別も困難ですが、写真では 明暗が それなりに区別されて写っているので、識別が可能に近いですね。(画像の修正はナシです。)
 目の感覚と カメラの感度 では、その領域に差があるせいでしょう。
 それとは別に、粒子が粗いと云うのか、昼間のと違って何となくザラザラした感じに写っています。

 ビデオカメラではどうなんでしょうかね。

  
 これは先程アップしたカメラのテスト での、明るい時の写真。

樽型

 
 樽型に写るのは、接写に近いため。

 
 カメラを離して、望遠気味で写せば樽型にはならない----------以上、これまでは無意識気味で、ちゃんと理解して操作していたのでしょう。

 〜だんだんと人間ボケて来ますなあ〜( 〜オロン〜オロン!、〜涙〜涙〜!)。

カメラのテスト-2

 ありゃりゃ〜〜同じ画像が2枚とは、ちょっと信じられないエラーでした。
 加えて、左右もナシで縦方向に並ぶとは、これも想定外でしたね(涙!!)。

カメラのテスト


 
 .

 デジカメの調子に ちょっと懸念があったので、単に写してみただけのもの。
 -----------異常ナシのようで安心しました。

 左の画面、これは、接写に近いので樽型に写る、とは始めて知りました。
 右は、画像処理ナシ、で、そのまま載せたもの。結構 ピントは甘いもんですな。

自働販売コンビニ

 
 
 コンビニで販売している商品を丸ごと自動販売機でやれないもんか---------と考えるのですがいかがでしょうか。
 当然ながら、機械の大きさと数量は、規模としては現在の自販機の数十倍に達するようになるのではないか、とも思うのですが、それでは大き過ぎると思うので、単品用に区分けして、小規模自販機を並べる-----となるか も知れませんね。
 まあ〜当初は、そこ迄頑張らずに、随時大きくして行けば良い、その程度の構えでよろしいのかも。
 一般的商品には空冷は不必要でしょう。
 駅の売店を目標と考えてみてはどうでしようか。駅の売店並みの、それでいて、更なる豊富な日用雑貨品を選択肢として近くに確保したいのですよ。我々のような家に於いては居候的存在の者にとって、とにかくコンビニ以上に、つまりコンビニエンス(便利)を最優先にして頂きたいですね。
 クルマは路上駐車が可能なように、販売機を数歩分引っ込めればOKでしょう。それを農道並みの地方都市道路にズラリと設置するのです。
 ------------- 最初に空想が無ければ、実現可能なアイデアにも到達しないものですよ。いかがでしょう?。

雨の一日

 
 
 今日は典型的な梅雨の日、朝から しとしと雨が止みませんね。
 「まる」も やる事がなく、座ったまま網戸越しに外を眺めているだけ。

 カンカン照りになる迄には、もう少しの辛抱が続くようです。

検索件数

 
 
  「斎藤彰のブログ」
 本日現在でのgoogleでの
 検索件数は   283000件.
 画像検索件数は 118000件.

僧 俊寛

 
 
 今日は何の日か検索してみたところ「僧 俊寛」の名が出ました。
 俊寛と申せば 涙々 の物語でしたなあ〜。
 以下検索からです。
 俊寛(しゅんかん、康治2年(1143年) - 治承3年3月2日1179年4月10日))は平安時代後期の真言宗の僧。村上源氏の出身で、木寺(仁和寺院家)の法印寛雅の子。別の呼び名として、僧都と呼ばれる位の名を付け俊寛僧都(しゅんかんそうず)などとも呼ばれる。
 後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった。安元3年(1177年)、藤原成親西光らの平氏打倒の陰謀に加わって鹿ヶ谷の俊寛の山荘で密議が行われた(ただし、『愚管抄』によれば、信西の子・静賢の山荘で密談が行われたとされている)。だが、密告により陰謀は露見し、俊寛は藤原成経平康頼と共に鬼界ヶ島薩摩国)へ配流された。(鹿ケ谷の陰謀
 『源平盛衰記』によると、成親卿は松の前・鶴の前という二人の殿上童を使って、俊寛を鹿ケ谷の陰謀に加担させたという事になっている。松の前は美人だが愛情の足りない女で、鶴の前は不美人だが愛情に溢れた女であった。成親卿がこの二人に俊寛の酒の相手をさせた所、鶴の前に心をよせて女児を生ませた。すっかり鶴の前に心を奪われた俊寛は、謀反に加担する事を同意したのだ、という[1]
 『平家物語』によると、鬼界ヶ島に流された後の俊寛ら三人は望郷の日々を過ごし、成経と康頼は千本の卒塔婆を作り海に流すことを発心するが、俊寛はこれに加わらなかった。やがて、一本の卒塔婆が安芸国厳島に流れ着く[2]。 これに心を打たれた平清盛は、高倉天皇中宮となっている娘の徳子の安産祈願の恩赦を行う[3]。 翌安元4年1178年に船が鬼界ヶ島にやって来るが成経と康頼のみが赦されており、俊寛は謀議の張本者という理由から赦されず島に一人とり残された。俊寛は絶望して悲嘆に暮れる[4]。 翌安元5年(1179年)、俊寛の侍童だった有王が鬼界ヶ島を訪れ、変わり果てた姿の俊寛と再会した[5]。有王から娘の手紙を受け取った俊寛は死を決意して、食を断ち自害した。有王は鬼界ヶ島より俊寛の灰骨を京へ持ち帰った[6]

御真影

 
 
 戦前戦中の各家庭には間違いなしに天皇皇后陛下の御写真が飾られてありましたね。勿論我が家にもキチンと掲げられてありましたよ。
 この件については、私のHPのどっかに載せてあるのですが、肝心の写真がなく、大雑把なスケッチを載せてある筈なのですが、その、我が家に掲げてあった両陛下の御写真と、全く同じ御写真が検索から得られましたので載せてみました。
 今更ですが、懐かしいともバカバカしいとも云えるのでしょうが、ともあれ貴重な記憶として残っていますので、お借りしてアップさせて頂きました。
 ◉ 写真は、http://blog.livedoor.jp/gmsydney/archives/cat_50034222.html 様 よりお借りしました。

ロンドンと樺太

 
 

 ロンドンと樺太と同じような緯度にありながら、何故、樺太は寒く、ロンドンは寒くないのか。両者の気候が同じでない理由は何か。


 ロンドンは、ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候(Cfb)に分類される。ロンドンの緯度は樺太中部と同程度であるが、メキシコ湾流の影響を受けて温暖かつ適度の湿度を持った比較的暮らしやすい気候となっている。ただし、一年を通して小雨や曇天がやや多い。冬季の濃霧は有名であるが、かつてのスモッグは1956年の大気浄化法制定以後、石炭の代わりにガス、電気、石油の使用が推進され、無煙地帯が設定されるなど排煙が規制されてからは激減した。
  
 以上、検索からですが、それはそれとして---------- イギリスのロンドンの北緯50度のラインと、かつて樺太の真ん中を通っていた北緯50度のライン、そのラインと、同じである-----------とは小学校の頃教わって驚いた記憶があります。

理由は上記の通り、 ロンドンは、それ程北にありながら寒くないのはメキシコ湾流のためである---------それがため、本来は寒い地域なので大気は冷たく、それにより霧が発生し、霧の街ロンドン、と称されている----------と云ったアンバイでしたね。
 写真は Wikipediaからで、霧のロンドン、ネルソンの塔。

2011年6月26日日曜日

当時の皇太子殿下

 
 現天皇の皇太子時代の新聞写真。昭和21年3月20日
 現天皇は私と同じ年なので、常に気にはなりましたね。
 初等科御卒業とあります。
 天皇及び私にも共々こんな時代があった次第。

ラバウルの蝶

 
 載せたのは、当時の帰還兵の手記です。

その手記とは関係のないハナシですが、戦時中の、 いつだったか、ラバウル展示会(?)が開かれて見に行ったことがあったのですが、無惨な遺品の中に、なんと、立派な蝶の標本集があったのに驚いたことがあります。明日をも知れぬ生死の境の中で、どうしてそんな蝶の標本を何箱も作れたのか、不思議な気持ちに襲われたものでした。(その作者の兵士は死んだ、と書かれてありました。)
 検索で、もしかしたら出るかな、とも思ったのですがダメでしたね。
 とにかく、鮮やかな色彩に彩られた大型の蝶がズラリ並べてありましたね。
 -------------それにしても、あの時の標本は、その後どうしたのだろうか?。

ジープにたまげた日本

 
 
 東京では、進駐軍は “ 自動車 ” から足出して乗っている---------戦後間もなく、山形にも進駐軍がやって来るとのハナシが出始めた頃でしたね。
 それにしても、足出して乗っている?----------当時の私は小学校六年生、理解出来ませんでしたねえ〜。
  ドアを開けて足を出して運転しているにしろ、何故なのか、大体、そんな格好で運転したにせよ、危険極まりないやり方ですよ。
 新聞写真はどうだったか---------見た覚えなし、大体、そんな写真は出ていませんでしたよ。
 但し、百聞は一見に なんとやら、やって来た彼等を見てすぐ理解出来ましたナ〜〜。
 結局、彼等の自動車には、日本と違って、いろいろあった----------まあ〜単純な事で、結論は それだったでしょうね。
 載せた写真には、検索からで「ジープにむらがる都民」とあります。
 東京都民であれ、日本国中、タマゲた自動車だったのでした。

窓からの眺め 他

 
 梅雨空そのまま、どんよりと曇った景色です。
 並びのおかしいクルマは、これから走り出すところでしたね。

 
 孫娘が座っている椅子の下で、脚に顎を載せて「やることがない〜〜」と、ブツブツ文句を垂れているサマにも思えましたが。

テンペスト

 
テンペスト』(: The Tempest)は、イングランド劇作家ウィリアム・シェイクスピア作のロマンス劇。「テンペスト」とは「嵐」の意であり、邦題では『あらし』と訳される。初演は1612年ごろ。シェイクスピア最後の作品といわれる(後に共作という形では作品を発表している)。
 ナポリ王アロンゾー、ミラノ大公アントーニオらを乗せた船が大嵐に遭い難破、一行は絶海の孤島に漂着する。その島には12年前に弟アントーニオによって大公の地位を追われ追放されたプロスペローと娘ミランダが魔法と学問を研究して[1]暮らしていた。船を襲った嵐は、12年前の復讐をするために、プロスペローが手下の妖精アリエルに命じて用いた魔法(歌[2])の力によるものだった。
 王の一行と離れ離れになったナポリ王子ファーディナンドは、プロスペローの思惑どおりミランダに出会い、2人は一目で恋に落ちる。プロスペローに課された試練を勝ち抜いたファーディナンドはミランダとの結婚を許される。
 一方、更なる出世を目論むアントーニオは王の弟を唆して王殺害を計り、また、島に住む怪獣キャリバンは漂着した賄い方と道化を味方につけプロスペローを殺そうとする。しかし、いずれの計画もアリエルの力によって未遂に終わる。
 魔法によって錯乱状態となるアロンゾー一行。だが、プロスペローは更なる復讐を思いとどまり、過去の罪を悔い改めさせ、赦すことを決意する。和解する一同。若い二人の婚礼を執り行った後に、ナポリに帰ることになる。
 最後に、魔法の力を捨て、アリエルを自由の身にしたプロスペローは観客に語りかける。自分を島にとどめるのもナポリに帰すのも観客の気持ち次第。どうか拍手によっていましめを解き、自由にしてくれ、と。
 

◉ これは、私の場合は ピアノソナタ17番(ベートーベン)で馴染みになっていますね。載せたのは、そのCDのジャケット。この中での17番がそれです。

 私好みの曲ではナンバー1に位置する曲です。