2013年3月31日日曜日

「チボー家の人々」


この「チボー家の人々」も忘れられない青春の思い出に入る傑作でしょうか。
載せた画面は 私が創った画面ですが、青春時代を過ぎてウン10年後のこと、まあ〜回顧録に近い中身でしたが。

 それにしても、現在に至れば 本は読まなくなっていますなア〜。

 それには、いろんな理由があるのは事実としても、とにかく読まずに 見る本  ばかりのようで〜。

「灼熱の氷惑星」


その昔「灼熱の氷惑星」なる本を読んだ事があったので、どんな内容だったかダイジェストでも読む事が出来たらな〜と、検索してみたら、この私メの画面が イキナリ!出て来たので驚きましたな!〜〜。
勿論 この私メの創った画面ながら  全く記憶からも手元からも消滅していた画面でした。

人間も長い間やっていると、このような事象に遭遇?すると云ったところでしょうか〜。
これ以外にも どこかに大量に!?埋もれて眠っているのでしょうかナア〜。

私以外の皆さんにも結構当てはまる事例なのではありませんか?〜。

空模様〜。


現在、昼近い空模様〜です。
模様 も何もありませんね---------とにかく今日は寒い日ですよ!--- 。

「テンペスト」


 ↑ 私の手元にある ベートーベンのピアノソナタ集で「テンペスト」は有名曲なので勿論入っています。
 「テンペスト」とは「嵐」と訳されている筈なので、その他の曲にもマッチするように、それに沿った動きのある表現で絵も描かれていますね。

↓ 「テンペスト」単独で検索して出て来た絵です。詳しい説明は抜きにして、これも、それなりに動きのある力強い絵です〜。


↓ ところが 検索からですが、ベートーベンのピアノソナタ「テンペスト」のCDジャケットに描かれている絵は下のように、緑の樹木が載っているだけ-----。
------------ これでは、ちょっとイメージ違いではないのかなア?〜。


 〜まあ〜小さな事とは申せ、どう解釈したらよいのでしょうかナ〜。

寒い朝〜

寒い朝でした〜。
三月もオワリとは云え、まだ寒い朝があったところで不思議でもないでしょうね。
まあ〜気温が上がるのを期待する昨今 〜 そんな時期と云っておきましょう。

2013年3月30日土曜日

軍歌 ♬〜貴様と俺とは〜



1,貴様と俺とは 同期の桜 同じ予科練の 庭に咲く.

 咲いた花なら 散るのは覚悟 みごと散りましょう 国のため.

 2, 貴様と俺とは 同期の桜 同じ予科練の 庭に咲く. 

血肉分けたる 仲ではないか なぜか気が合うて 別れられぬ. 

この私が軍歌を 云々 した〜となると、最近では、稀有な事でしょうか。

まあ〜軍歌の中の戦争を云々〜する〜しない----- が問題ではなくして、単なるノスタルジアでしょうね。

因に、この歌は その当時 随分と歌ったものでしたよ。短調なのが利きましたナ〜〜。

祇園精舎の鐘の音 か, 声 か---2

下段での「祇園精舎の鐘の 音   か 〜 声   か」 での検索数値は、それを最初にカキコミした当時の数値で、現在では違った数字が出て来るようです。
取り敢えず付記させて頂きますので〜。

祇園精舎の鐘の音 か, 声 か。


「祇園精舎の鐘の」・・・これでは おかしいと思って、念のためgoogleで検索したら、7810件出て来ます。つまり7810人がここでは 「鐘の」と、記憶していると云う事でしょうな。もし全国的に実地調査でもしたら、これに似た比率で出て来るのかも。
 但し、検索では、「もしかして祇園精舎の鐘の」と注意が出ます。
 つまり間違って覚えている人も結構いるとの証拠~~ただ、だからと申して安心してよいとはなりませんが。
 更に「祇園精舎の業無常の響きあり」で検索すると2件だけですが出ます。
 加えて「祇園精舎の鐘の声、業無常の響きあり」これでも お二人様が出ました。
 更に「祇園精舎のの声、業無常の響きあり」これも お一人様。
 正確には勿論「「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわすおごれる人も久しからずただ ・・・・以下略」
 これに似たような間違っている記憶となったら結構あるのかなあ~~。
 以上 恥晒しの弁解でした。


祇園精舎の鐘の声〜

(上)これは確か、シンガポールでのイギリスのパーシバル将軍を相手に、イエスかノウかと 降伏を迫る山下将軍。
描いた画家の名は忘れましたがチョー有名な画家です。
(下)終戦となり、かっての敵の将軍達の入場を立ち上がって迎える山下将軍達の列。


絞首刑の判決を受け、刑場に向かう将軍。無念と恐怖の表情を〜。



山下奉文大将はシンガポール占領で超有名になった将軍です。我が国に山下大将が居る限り戦争に負けることはない、と、そう信じられてきましたね。

戦局が、勝ち戦から負け戦に転じてきた頃のある日の新聞のトップに「この人を見よ!」との見出しで、山下大将のクローズアップ写真が掲載されたことがあります。その写真を見て、少なからず安心した日本人も多かったのではないかと思いますよ〜。
残念ながら、その時の写真の記憶は強烈に残っていますが、保存はしておりません。
どなたか覚えておられる方はおられないでしょうかなあ〜。
なにせ何年何月の時の記事か、それも何新聞だったか、それらが分からないので、図書館に出向いても探しようもありません。

 その山下大将にも非運な運命が待ち受けていましたね。戦争犯罪人として死刑が宣告されたのです。「敗軍の将、兵を語らず」、山下将軍はさしたる弁明もせずに消えていきましたね〜。
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祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。

散歩道から


 ウス寒い今日の散歩でしたね。
ただ風が無いのが救いでした〜。
ここの、小さな 草原!〜の草々も、見れば  随分と大きくなって生えていましたなア〜。


 毎日のように寒い日が続いているせいか、桜も散るべき時期を迷っているでしょうか、
ここのところ、ホント毎日が同じ姿のようで〜。


-------まあ〜それはそれ、出すモノは出しませんとネ〜。

ブログは無料〜。


前段続いてですが、無料か否か、を加えて 改めて検索した結果が これです。
---------それにしても、無料でありながら どこかで その分 回収しているとの事なのでしょうかね。
--------ちょっと信じられない気もしますが。

ブログは容量無限か?


「ブログは容量無限か」で検索すると、確かに 容量無制限と出ますね。
 とにかく、容量無制限!〜ですよ。

 そんな事ってホントかなあ〜と思うのですが、諸兄姉はいかが思われるでしょうか?。

兄〜


戦時中、中学校から予科練に志願し入隊した頃の私の長兄。
だとすると、その当時は16〜7歳?------。
おまけで、18〜19歳だとしても、現在での成人、20歳には到達していませんね。
そんな若者達を特攻隊として育て上げ、国家の大事とは云え、海中の藻屑へと投げ込んだ当時の為政者の心臓の強さ!〜を改めて知りますよなア〜。


まあ〜兄の場合は、特攻隊として出撃しようにも、ヒコーキが無くて、結果として元気で終戦を迎えたわけですが、いずれにせよ、ガタガタの中古の飛行機迄投入して、空の彼方へと追いやった?〜当時の上級士官達は、その後 いかなる人生を辿ったのでしょうかね。

眺めを考える〜



 晴れた日の、いつもの眺めです〜。

雨降りでの同じ眺め-----。
両者とも、眺めている分には、雨の有無は理解しても、明るさが これだけ違うとは感じないのではありませんか?〜。

 だからどうだ〜とは何もないのですが、意識とは不思議なもので、普段は気をつける事もない固定意識の強さを改めて知る------と、そんな事を考えた次第でゴザイました〜。

散歩道から-1


今朝は  “ 寒い ” の一言でした〜。


寒さに負けず 桜も満開ですが、これでは 虫一匹 飛んで来ないでしょうなア〜。
受粉はどうなるのでしょうかね----。


シャッタースピードはカメラ任せなのですが、最初の画像とこでの一枚では、結構 違った明るさになっていますよ。
 カメラも寒くて カジカんで いるのかもナ〜。


犬の祖先は北国生まれのせいか、その子孫も “ 寒さ大好き!” のようで、いつもながら結構元気ですよなア〜。


庭の木蓮も、精一杯 背伸びして?陽の光りを浴びようと頑張っているサマのようで〜。

2013年3月29日金曜日

あの頃の新聞から


終戦間際の頃、日本軍が作り上げたB29の現物大の木製模型

この記事を読むと「 軍では  見せ物とシラを切る」とあるが、軍事用に作ったもので、当時 見せ物を作って見せる程呑気な時代では なかった筈。シラを切る程の事でもなければ、不審を抱いて訊ねるバカも居ないと思う。
子供でも、おかしいと思いながら読んだ記事であった(後年付記の私のコメント)。

まあ〜それにしても よくぞ作ったもんですなあ〜。
出来上がったのを見て、一同 震えが来たのではありませんか?〜。

散歩道から


 五時半過ぎて、この明るさですから、陽が長くなって来たと考えてもよろしいのかも〜。


満開の桜〜なのですが、いささか寒い散歩でしたかナ〜。



上の写真と同じポーズで、いつも このポーズを取る時が多いですね。
地面に何か落ちていないか〜が、主たる目的のためでしょう〜。

米兵がやって来るぞ〜


終戦となり、やがて米軍がやって来る-------大変な事でしたなア〜。
もし、何やかにの問題が発生したら、臆せずに、この文面を見せなさい〜との事で新聞紙上(山形新聞)に載ったのがこのお触れ書きでしたね。
 それにしても、当時の山形新聞社にはアルフアベットの活字が無かったのでしょうなア〜。
 ------ accrding to -----などは手書きになっていますよ〜。

 但し、実際に米兵が進駐して来たとなると、この用紙が必要になる事は生じませんでした--------。

 米兵にとっては、鬼より怖い M P (ミリタリポリス----軍警察)が配置されていましたからね。

庭の坪池〜



庭の坪池にも花が咲いたようで〜。
小さな場所では、ホント小さな美を競っている感じかな〜。
これを見物している “ 見物蛙 ” もいるし-------と〜。

散歩道から-2-3


 ここは小学校の入り口への道。
その道を美しくする事もあってか〜〜さすが学校だけあって、やるべき事はキチンと行なわれているとの感じかナ〜。


この学校の裏手に咲く白い桜?〜------いかにも “ 裏手 ” との感じが ひっそりとした佇まいからも汲み取れる姿のようで〜。


この方は正面通り、学校の入り口の道路前に咲く桜の花〜。

こうなると、どこか  “ ホレ見ろ!” 〜との高慢な?佇まいのようですなア〜。

散歩道から-2-2



このへんの これ又 定番の光景でしょうね。
植えてあるのは作物ではなくして、土質をキープすための単なる草類植物?かと思うのですが〜。
 これ迄も何度か そうカキコミしてあるのですが 真偽の程は部外者の私にとっては不明ですね。
 いずれにしろ、綺麗な光景ですよ〜。



このアンテナの鉄塔が、何故ここに建っているのか、これもまた詳しくは不明、いずれにせよ、電波塔でしょうから、通信の安定補給に役立てているのでしょうナ〜。
 写真、右遠くが新座病院なので、これまた 我が家からすぐの所〜。

散歩道から-2-1


桜満開も今日がピークと思い「まる」との散歩も結構満喫しましたね。


定番の交差点----- 。
散歩は こちら方面からとなると、最初の関門?が この信号機を眺める事からスタートします。
 写真は、交差点を渡り切って 振り返ってみたところ。


上の写真を拡大してみました。
ソフトとハードな色の組み合わせが利いているようで〜。

窓からの眺め


修正なしでの 、窓からの現在の眺め です。
この分では〜どさり!〜 とひと雨来そうな空模様で〜-------。

まあ〜「まる」とは 朝の散歩も終えているので不都合はありませんね。

変節か?!〜


戦争完遂に邁進〜-----問題とせず、と謳いながら、その数日後にコロリと変わってしまったのですから、いかがなものか、と子供ながら その変節?に呆れ返ったものでした。


暫くたつと、もう「話せば判る教養人、嬉しがるキモノ 日本禮儀をしりたがる〜」
と、こうでしたね-------。
勿論、それでこそ安泰が保たれたわけですから、申し上げるスジではないとは思うものの-------これまた子供ながら、気持ちのどっかにいささかの疑問が残った次第でした。

散歩道から-1-1


農業には疎い身なので、ここは これでOKなのか、どうなのか、どうなんでしょう〜。


何の花なのか、ピンクとホワイトの色彩差が際立って目立ちますね〜。


角地の道路縁だけに 結構ひと目を引くようで〜。


ここでは、政治家のポスターよりは、下段の  “10分カット1000円”    の方が目立ったりして〜。

2013年3月28日木曜日

「このサイトに参加する」


 

検索から お借りした「このサイトに参加する」です。
メンバーが10人となると、いつの頃か不明なのですが、それ程にムカシではないとは思うものの、それはそれ、結構懐かしい限りでしたね。

-------ただ、慌ててしまったので、どちらさんの画面からだったか〜------ご了解を得ず利用させて頂く事になってしまい ホント申し訳有りません。


これが現在の様相です。
---------とにかく〜今更ですが、お気づきでしたら、御連絡下さいませ〜。