2011年6月14日火曜日

特攻出撃

 
以下は、当時の、この新聞写真切り抜きでの私のコメント。但しこれは戦後に付加して書いたもので、戦中ではありませんが。
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 並んでいる隊員の姿はおとなしく見える。
 終戦間近かの頃は、戦闘帽もかぶらず、日の丸のハジマキをして、手には役にも立たぬ日本刀を下げている姿が目立つようになっていた。勿論 全部が全部そうではなかったと思うが---------。思うに、日本人の大部分がアタマに血が上っておかしくなっていたのだと思う。
 それにも拘らず、この写真はおとなしく見える。(以下略)
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 ※ つまり、この写真では、下段の人員のため、爆撃機の下部が見られませんが、そこに人間爆弾ロケットが装着されているとは全く考えてもいませんでしたネ〜。
 
 以下、戦後の相応記事から

 人間ロケット爆弾「櫻花」を抱いた一式陸攻18機が鹿屋基地に並んだ。搭載する櫻花は、編隊の都合等で15機に。護衞戰闘機は72機の豫定が、空襲で破壊され55機に迄減つて居た。
 重い櫻花を抱へて速度の出ない一式陸攻は、殘らず撃墜された。敵戰闘機からやつと逃れて歸投した直掩機が、味方は十数分で全滅したと櫻花特攻の最期を報告した。敵戰闘機の攻撃で被弾して、火災を發生させた機を數機従へ乍ら飛ぶ隊長機(野中少佐搭乗機)の目撃が、最期の姿となつた。
  
  人間爆弾ロケット「櫻花」
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 以下資料から

「菊水作戦」 沖縄上陸米軍に、特攻攻撃を仕掛けた海軍最大規模の航空作戦。4月6日から6月22日迄十次にわたり、作戦参加機数は延べ2966機(うち特攻機1506機)に及んだ。米軍の沖縄 北-中飛行場の使用を阻止するための菊水1号作戦は、奇襲によって大きな戦果を挙げたものの、以後戦果は乏しくなり、734(うち特攻機571)の損失を出して、沖縄総攻撃作戦は終った。

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