玉砕の始まり。
第二次世界大戦の中で最初に報道発表に使われたのは、1943年(昭和18年)5月29日、アリューシャン列島アッツ島の日本軍守備隊約2,600名が全滅した時である。「全滅」という言葉が国民に与える動揺を少しでも軽くし、“玉の如くに清く砕け散った”と印象付けようと、大本営によって生み出された、いわゆるダブルスピークである。もっとも、この時も、実際には全員が死に絶えた訳ではなく、守備隊2650人のうち、29人が捕虜になっている。
大本営発表。
アッツ島守備部隊は5月12日以来極めて困難なる状況下に寡兵よく優勢なる敵兵に対し血戦継続中のところ、5月29日夜、敵主力部隊に対し最後の鉄槌を下し皇軍の神髄を発揮せんと決し、全力を挙げて壮烈なる攻撃を敢行せり。爾後通信は全く途絶、全員玉砕せるものと認む。傷病者にして攻撃に参加し得ざる者は、之に先立ち悉く自決せり。
以上 Wikipediaより。
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この時の「玉砕」での、ラジオのアナウンスについては、よく記憶しているのですが、戦争も後半になると「玉砕」の連発で “ 又か〜ヨ ” -------- とイヤになる程でしたね。
特に、その場合のニュースの前に奏でられる「海行かば」のメロデイが、聞くに耐えないくらい辛気くさく感じられたものでした。
載せた写真は検索から「アッツ島玉砕」。
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