2011年6月18日土曜日

ラバウル

 
 

 日本軍の占領 [編集]

 第二次世界大戦中の1942年には日本軍が占領し、今村均陸軍大将などの指揮によって東南方面への一大拠点が築かれる。ラバウル航空隊の基地があり連合軍側からはラバウル要塞と呼ばれた。陸海軍合わせて9万余の日本軍が配置された。日本軍は自給自足体制による食料の確保と、堅固な要塞を築き上げていた。これをみた連合軍は、反攻にあたり頑強な抵抗が予想されるラバウルを占領せず包囲するにとどめた結果、終戦時まで日本軍が保持することとなった。また、オーストラリア軍は日本軍占領時に大きな損害を出したためか、他の連合軍に比べ勇猛に戦ったという。
------------------------------
 どっかに書き込みした覚えがあるのですが、このラバウルに関しての新聞記事は、途中でバッタリと途切れて全く報道されなくなっていましたね。当時は不思議に思っていましたよ。
 まあ〜この記事を見る限り、そうだったのか、と納得しましたね。

 ラバウルとなると、戦後に至るまで歌われた 「ラバウル小唄」だったでしょうか。

 ラバウル小唄
 作詞:若杉雄三郎
 作曲:島口駒夫

 1
 さらば ラバウルよ また來るまでは
 しばし 別れの 涙がにじむ
 戀し懷し あの島 見れば
 椰子の 葉かげに 十字星

 2
 船は 出てゆく港の沖へ
 いとし あの娘の打ちふるハンカチ
 声をしのんでこころで泣いて
 両手 合わせてありがとう

 ------(以 下略)

 〜〜この唄知っている どっかのトッツアン!よ、この唄歌って一杯呑むべかヨ!!〜〜。

0 件のコメント:

コメントを投稿