2010年8月5日木曜日


昭和20年、先生が黒板に書いて、生徒に写させた詩です。

かなり終戦が近い頃だったような、そうでなかったような、いずれにしても

その頃は勿論でしたが、その終戦がいつになるか-------

--------------とは全く考える事はありませんでしたね。

ともかくも、これを写し取った生徒一同 音もなく静まりかえっていました。

ガダルカナルの戦 

ここにして、これあり
これぞ、この米のかゆ
はろばろと数千里
よよ あし原みずほの国のみたからだ
一と年(ひととせ)を汗にまみれて
磨き上げたる 真珠宝石
わだつみの逆巻く潮を
のりきりて
いのちに代えて海軍さんの
護り来(こ)し神のたまもの
敵機の下をころびて
雨なすたまの中はひつ
汲みたる水を、飯盒(はんごう)にいれ
爆撃ごとに火を消して
去りては又焚きつけ
つとめて煙出さぬごとく
ねじり鉢巻してたき上げたる
この味は二つなし
いささかの塩っぱい海水に
とぎしたの(一字不明)も
(わが涙までまじりしならじ)
いざ食らえ
わが戦友(とも)よ
食はで死にし
わが戦友(とも)よ
これぞこの米の粥(かゆ)ぞ
 

われは信ず


ジャングルに深くこもれば
雨は夜ゝ肌(はだ)へを洗ひ
壕内に日々を送りて
敵弾を常に浴びつつ
いつの日に友軍機飛び
糧来るや、われらは知らず
されどただわれらは信ず
 われらは勝つと

幾日ぞ弾丸(たま)を撃たざる
幾日ぞ米を食はざる
屋根なせる「星」の翼に   ※「星」は星条旗を表す
ジャングルに木のかげは失せ
嵐なす敵の弾丸に
つぎつぎに友はたふれぬ
されどなほわれは信ず
われらは勝つと

みかへればやせさらばえて
肉そげし ほほよ 腕(かいな)よ
よし弾丸は免(まぬか)れ得とも
長くよし 生きてあるまじ
友軍機いまだ飛ばざる
糧秣(りょうまつ)も遂に来たらず
しかも尚われらは信ず
御国(みくに)は勝つと

 ※ 後年、この詩の作者を探したところ 共々「吉田嘉七」と分かりました。  

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