2011年6月3日金曜日

戦艦 大和

 
 
 ◉日本人の死生観
 戦艦「大和」の姿を見ていると、どことなき「蜂の巣」か「蟻塚」に似ているように思える時がある。大勢の蜂や蟻達が、一匹の女王のために、自らを犠牲にして、女王中心の「社会」を守ろうとする社会である。大勢の蜂や蟻達が、一匹の女王のために、自らを犠牲にして、女王中心の「社会」を守ろうとするスタイルである。
 日本人は個人意識に乏しく、市民社会が未成熟のままであるがため、個人より集団が優先する仕組みになっており、その結果 死生観も、それに沿うように出来上がっているようにも思える。
 集団のシンボルは「天皇」「国歌」であったり、「家」であったり「領主」であったり、果ては「会社」であったり、それは時代と共に変遷するが、、土台としては、個人としての帰属する社会の、それぞれの頂点である。
 それは、儒教のせいだと云われているし、又 農耕民族、そして草食動物の宿命だとも云われているが、ともあれ、「個」より「群れ」が重要視される原則は崩れ去ってはいない。個人は常に集団に殉ずるのが美徳とされて現在に至っている。極論かも知れないが「個」の領域に「神」が介在する隙間は見当たらない。従って日本人はすべて無心論者であるし、それが集団のためには在るべき姿だとされて今日まで来ている。

 ◉ 海ゆかば、水漬く屍(かばね)
  山ゆかば草むす屍
  大君の辺にこそ死なめ帰り身はせじ。

 ----天皇ためには死んでもよいという歌----

 戦艦「大和」の出動は(大和に死に場所を与えるため)だったと云う。但し、乗務員の大半を占める水兵の、その大半は、泳ぎを知らぬ少年兵で、彼等の死因は「溺死」であったとの事。
 すべてムチャクチャだったのである。

  世界の三大バカ称されている建造物が以下。
 ◉ エジプトのピラミッド
  支那の万里の長城
  戦艦 大和
 
 大きいだけで、何の役にも立たぬモノを揶揄する言葉かも知れませんが、然し、現在では、ピラミッド、万里の長城、共々、大変な観光資源として、莫大なカネを稼ぐ身の上である。
 この上は「大和」も海底から引き揚げ、修復の上、陳列する事によって、バカな建造物の見本として観光資源に役立てたいものと思う次第であるがいかがなものであろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿