アジアから 欧米の勢力を駆逐し、新しく日本を中心とした「大東亜共栄圏」を構築する、これが戦争の名目でしたね。
事実、東洋の大半は欧米の植民地とされ、搾取に喘いでいる状況であった、と、これは間違いなしの事実だったと思いますよ。
ただ、問題は、欧米に代わって、日本こそが その盟主となる(さすが “ 搾取 ” の文言は見られませんが)--------これは、やはり いかがなものかと、今に至るも そう思いますね。
現在、それを検索すると、以下の文面が出て来ます。
大東亜共栄圏
第二次大戦中の、特に1940年(昭和15)頃から日本が唱えたスローガン。欧米の植民地支配に代わって共存共栄の新秩序をアジア地域に樹立すると主張して、日本の侵略政策を正当化しようとしたもの。
以上ですが、その 日本が、盟主たる存在を得て相手構わず侵略政策を取ったのではたまりませんでしたな。
大東亜共栄圏の構想は さておいて、戦争は順調に勝ち戦で推移したのですが、やがて訪れたのは----------。
北のアリューシャン列島、その中でのアッツキスカでの敗退。
西では、インパールでの頓挫。
南では、ニューギニアの尻尾?でのガダルカナル戦での挫折。
そしてどうなったか、飛び石のように島伝いに北上して来たB29が、日本本土へ雨霰のような爆弾を投下し、そのとどめとなったのがヒロシマ ナガサキへの原爆投下でした。
----------- こうでしたよ。
“ 大東亜共栄圏 ” の夢は儚くも消え去ってしまいましたなア!〜〜。
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