2011年6月8日水曜日

ふるさとの景色

 
 
 山形市の私の家の近く。昭和20年頃を頭に浮かべて描いたもの。平成6年とあります。
 走っている路線は、一見複線に思えるのですが、そうではなく単線の奥羽本線と、単線で社線の左澤(あてらざわ)線。
 子供が一人網を持って振っていますが、それは小学校時代の私で、毎日々、トンボ捕り に夢中になっていましたね。

 上に書かれてある文字は
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 50年物語 山形市 霞ケ城址付近 昭和20年頃の景色
 -------それは、その後何も変わっていない-----
  変わっているのは、電化によって線路上に電線が出来たこと
 腕木式の信号が現在式の信号灯になった事くらいで、あとは
 50年前のままである。
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 確かに、現在は電化による架線が張ってある筈ですね。

 右の土手は霞ケ城(かすみがじょう)趾。
 明治以降は、長らく山形歩兵部隊が占めていました。
 戦後は、引揚者の寮、その後は新規の中学校。加えて本格的な 山形球場-----現在は野球場以外は公園になっているのではないかと思うのですが、現在状況の詳しい事は分かりませんね。
 この絵の左下に貼付けたのは、本格的に水彩で描いた同じ場所の絵、それをカメラに収めて縮尺し貼付しただけのもので-------それを拡大したのが下。
 現物は親友のM君に贈呈した筈。

  
 左上には昭和20年頃の景色とあります。

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