2010年11月13日土曜日

双葉山と璽光尊

 

 
[1]葉山 定次(ふたばやま さだじ、本名:龝吉 定次(あきよし さだじ)、1912年2月9日 - 1968年12月16日)は、大相撲の第35代横綱大分県宇佐郡天津村布津部(現在の宇佐市下庄)出身。身長179cm、体重128kg。)血液型はA型。
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1947年(昭和22年)1月21日、金沢で新宗教、璽宇の教祖の璽光尊こと長岡良子とともに石川県警察逮捕されるという騒動を起こす(璽光尊事件)。双葉山は蓄膿症の手術をしたころから熱心な日蓮宗の信者であったというが、このときなぜ璽宇に帰依していたのかについては謎も多く、日本の敗戦による虚脱感から、璽光尊の奸計にはまったから、などの説があるが、いずにれせよ双葉山の求道的な性格が裏目に出たものと言われている。若き日からの友人であった新聞記者の説得が功を奏して双葉山は我を取り戻すと、その後は璽光尊に双葉山奪回を命じられ訪ねてきた呉清源の言葉には耳も貸さなかった。

当時の新聞は双葉山の得意が右四つだったのにかけて、事件を「悲劇の左四つ」の見出しで報じたという。釈放後道場に戻る。

 ------  以上、wikipedia より

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