2011年5月4日水曜日

空母「瑞鳳」

 
 かっての大日本帝国時代の空母「瑞鳳」。
 雑誌からの借用です。
 当然ながら、戦時中は知らされず、終戦になって初めて知った空母でした。

 
 載せたのは、A-3サイズ画用紙の台紙に貼付けて、別途 見開きにしてある「瑞鳳」の写真です。
 ボールペンは大きさの比較のため。
 ともあれ、見れば見る程に涙が出る思いがしますなあ〜〜。
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 日本海軍はロンドン海軍軍縮条約による航空母艦の保有制限から逃れるために、戦時に航空母艦に迅速に改造できる艦船の保有計画を持っていた。その計画により建造されることになったのが、瑞鳳の前身である「高崎」であり、当初は給油艦として設計された。
 その後、建造途中で軍縮条約から脱退したために、より航空母艦に改造しやすい潜水母艦に計画変更され、さらに潜水母艦から航空母艦へと計画を再変更、艦名も「瑞鳳」と改名した。
 1940年(昭和15年)12月27日、航空母艦「瑞鳳」として竣工。
 太平洋戦争では、ミッドウェー海戦における主力空母四隻の喪失後に貴重な空母戦力として大型正規空母と伍して活躍。南太平洋海戦やマリアナ沖海戦、危険が多い硫黄島周辺海域での索敵などを歴戦した。日本機動部隊最後の戦いとなったレイテ沖海戦では囮役である小沢機動艦隊の一翼として参加し、エンガノ岬沖で敵航空機の攻撃により魚雷2発、爆弾4発を受け午後3時26分に沈没した。駆逐艦「桑」に艦長以下847名、戦艦「伊勢」に98名が救助された。
 ------ wikipediaより--------

1 件のコメント:

  1. 拝見させて頂きました。祖父が戦時中、戦艦山城に乗っていた話を思い出しました。

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