2011年6月4日土曜日

ギリシャ哲学の末路

 
 古代ギリシャには神サマは大勢いたが、 神 は存在していませんでした。

彼等の思想の根本は、論理学と数学、従って理クツに合わないモノは認めない、と云う単純ではあるが、強固な思想を持っていたようですね。

 この合理的なモノの考え方は、然しながら、大きな弱点も持ち合わせていました。例えば、宇宙はいつ始まって、いつ終わるのか、どこ迄広いのか、又モノは何から出来ているのか-------とか、つまり「無限大」にのめり込んでいくと、どうにも解決出来ない弱点を曝け出して来たと思われますよ。

 又、論理と数学で結論が分かってしまうもの、例えば俳句の創作数は、数式での、順列組み合わせで、その総数は膨大な数であれ 分かってしまうが、そうなると、誰が俳句を創ろうとするか----------誰もが俳句を創る事は止めてしまいますね。

 つまり、これらの思想等は、やがて、いろんな場で、その目的意識の欠如を生み、あらゆるもの、すべてに於いて、「無目的」になり、結果として、虚無主義(ニヒリズム)に陥いるようになってしまった-----と、古代ギリシャ哲学は、そんな結果を招くようになったような気がしますね。

 写真は、ギリシャ パルテノン神殿

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