2011年6月4日土曜日

秩父札所-3

 
 
 ここを訪れたのは、いつであったか-----------平成六年とありましたね。まあ〜結構ムカシとなりました。
 当時、秩父巡礼?と銘打って、折りをみて歩いていた頃。

 とにかく、自分で歩こうとの意欲を持たない限り、殆ど歩行ゼロの毎日が続いていた時代------その理由は?、クルマ漬け!の生活------これではダメだ〜〜歩かなければ!------- その発奮からでした。

 ともあれ、電車で秩父まで行って、何ヶ月間か、当て所も無く??秩父の山々を歩きましたなあ〜。
 その時の写真は、当然ながら大量保管してありますが、その中からの一枚が「水子地蔵寺」、これだけ見事な景色を見ると、確かに、圧倒されますね。

 水子(みずこ)とは、人工妊娠中絶や流産、死産により死亡した胎児のこと。

 “ 水子 ” は本来「すいじ」と読み、 戒名の下に付ける位号の一つで、死産や乳児の頃に夭折した者に対して付けられるものであった[1]。
 水子とは、もともとは死亡した胎児だけでなく乳児期、幼児期に死亡した子供を含む概念であったが、戦後の日本で人工妊娠中絶が爆発的に増加したことを受け、1970年代ごろから中絶で死んだ胎児の霊を弔う水子供養の習慣が広まっていく[2]とともに、現在の意味が定着していった。その背景には、檀家制度が破綻し経営が苦しくなった多くの寺院が大手墓石業者とタイアップし水子供養を大々的に宣伝し始めたことが大きく影響している。
 1971年に埼玉県秩父郡小鹿野町に橋本徹馬[3]によって建立された紫雲山地蔵寺は1万体の水子地蔵を販売した[2]。
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 秩父については、飛び飛びでアップしているので、タイトルが正確には何であったか、分からなくなってしまいましたね。今回は「秩父札所−3」としましたが、正直のところ曖昧なタイトルです-----ご免なさい。

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