戦時中は、門兵が立つ この絵のような眺めで、中には山形第32聯隊 が入っていましたね。
途中で、山形 十八部隊と、名称に変更がありましたが--------当然ながら、私共は入場禁止。
戦後は、部隊は消滅し、暫くは、米軍 進駐軍の宿舎。
その後は、引揚者達の住居で------。
やがて、引揚者が引き上げると?〜兵舎を利用して発足した新制 山形第二中学校が占拠し〜と、それが別途、部外に校舎を新設したので-------、その後は 山形野球場が作られて、
--------そして現在は?〜------- もう 判りませんね。
忘れられない記憶があるとしたら、小学生であった戦時中、正門の前で、数人で、べらべら喋っていた時「オイ!そこの子供!〜」と門兵に優しくハナシをかけられた時だったでしょうか。
ただ、意外に思ったのは「----そこのコドモ〜」ーー その中の「コドモ」〜 だったでしょうね!。
云われた事に間違いはないでしょうが「コドモ!〜」との言葉が今でも耳に残っていますね。
「おい お前ら」「おい みんな」「おいコラ」「おい こっちへ」「おい ガキ!〜」
もし、呼び止められるにしても、それらが その範囲だと思ったものでしたよ。
呼び止められて、振り向いた私共の耳に入ったのは、私共の親兄弟は無事か?とかの、その程度の言葉で終わったような記憶が残りましたが。
-------- 画像は検索から お借りしました。
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