---------以下GOOGLE検索より
バンザイと発音するようになったのは大日本帝国憲法発布の日、1889年(明治22)2月11日に青山練兵場での臨時観兵式に向かう明治天皇の馬車に向かって万歳三唱したのが最初だという。当初は文部大臣森有礼が発する語として「奉賀」を提案していたが、「連呼すると『ア・ホウガ(阿呆が)』と聞こえる」という理由から却下された。また、「万歳」として「マンザイ」と読む案もあった(それまでの奉祝の言葉としては「バンセイ」あるいは「バンゼー」)が、「マ」では「腹に力が入らない」とされたため、謡曲・高砂の「千秋楽」の「千秋楽は民を撫で、萬歳楽(バンザイラク)には命を延ぶ」と合わせ、漢音と呉音の混用を問わずに「万歳(バンザイ)」とした。最初の三唱は「万歳、万歳、万々歳」と唱和するものであったが、最初の「万歳」で馬車の馬が驚いて立ち止まってしまい、そのため二声目の「万歳」は小声となり、三声目の「万々歳」は言えずじまいに終わった。[1]
大東亜戦争中の日本軍兵士が米軍に対して、全滅(玉砕)を覚悟して行った突入攻撃は、バンザイ突撃と呼ばれる。敗色濃厚にも関わらず突撃を行った日本軍兵士の「バンザイ突撃」は米軍将兵に少なからぬ恐怖を与えたという(バンザイ・アタック)。このことから、英語で banzai というと、本来の意味の他に「絶望的な(あるいは無謀な)試み」という意味もある。
また、第二次世界大戦中のアメリカ合衆国陸軍第442連隊戦闘団(日系アメリカ人部隊)が攻撃の際に「万歳」を掛け声に使用したと記録が残っている。
「天皇陛下万歳」はこのような歴史的経緯から軍国主義、戦争の象徴のような言葉と捉えられることもあるが、実際は天皇の永遠の健康、長寿を臣下が祈るものである。近年でも即位の礼や在位記念式典において公式に使われ、また皇居における一般参賀などの場面において万歳三唱する市民もいる。
慣例として、衆議院解散時に議長より詔書が読み上げられ、解散が宣言されたとき、その瞬間失職した議員たちが「万歳!」と三唱する。この慣例の経緯は明らかではないが、議員たちが選挙戦に「突撃」してゆく気概を表しているとも、国事行為として衆議院を解散する天皇に対しての敬意とも言われている。また、万歳三唱をすると次の選挙で落ちないというジンクスもあるといわれる。ただ「失職するのに何が万歳なんだ」といって万歳三唱をしない議員もいる。
なお、過去に一時期、万歳三唱令と題した文書が官庁を中心に広まったことがある。内容としては、万歳三唱の作法等について定めた太政官布告であるとされ、「施行 明治十二年四月一日太政官布告第百六十八号」などともっともらしいことが書かれている。しかし、そのような太政官布告は実際には存在せず偽物である。
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載せた写真はヒリピンのマニラ占領時の万歳風景。
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