2011年8月18日木曜日

残された詩文から

 

  以下、小学校6年の時に、先生が黒板に読み上げながら書かかれた詩文を写し取ったものです。
 ----------- 終戦の半年前くらいだったでしょうか。

 ガダルカナルの戦い  
粥(かゆ) 

 ここにして、これあり 
 これぞ、これ米の粥
 はろばろと数千里
 よし芦原瑞穂の国の御宝だ
 一年(ひととせ)を汗にまみれたる
磨きあげたる真珠宝石
わだつみの逆巻く潮(うしお)を
乗り切れて
いのちに代えて海軍さんの
護り来し神のたまもの
敵機の下を転びて
雨なす弾丸(たま)の中這ひつ
汲みたる水を飯ごうに入れ
爆撃ごとに火を消して
去りては又焚きつけ
つとめて煙出さぬ如く
ねじり鉢巻きして炊き上げたる
この味に二つなし
いささか塩っぱい海水に
とぎしたのもぞ
(わが涙までまじりしならじ)
いざ食らへ
わが戦友(とも)よ
食はで死にし
わが戦友よ
これぞ、この米の粥ぞ
----吉田嘉七-----

 われは信ず

 1

ジャングルに深くこもれば

雨は夜々肌へを洗ひ

 壕内に日々を送りて

 敵弾を常に浴びつつ

 いつの日に友軍機飛び

 糧 来るや 我らは知らづ

 されどただ 我は信ず

 われらは勝つと

 2

 幾日ぞ 弾丸(たま)撃たざる

 幾日ぞ米を食はざる

 屋根なせる「星」の翼に

 ジャングルに木のかげは失せ

 嵐なす敵の弾丸に

 つぎつぎに友はたふれぬ(倒れぬ)

 されどなお われは信ず

 われらは勝つと

 3

 みかへれば やせさらばえて

 肉そげし、ほほよ、腕(かひな)よ

 よし弾丸(たま)は免れ得(う)とも

 ながくよし 生きて あるまじ

 友軍機 いまだ飛ばざる

 糧秣(りょうまつ)も遂に来らず

 しかも尚 われらは信ず

 御国(みくに)は勝つと。

 -------吉田嘉七-------

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