これを見ると、ロダンは、貧相な文化的人間よりも、逞しい筋肉もりもり の動物的人間を表現したいと考えたのではないか------とも、思ったりするのですが?。
頭デッカチのせいで、体躯となると貧相極まりない人間に落ちぶれてしまった現代人にこそ、自然が与えたくれた強靭な肉体を改めて喚び覚ましてやるべきだ、と、そう考えた上での創作だったと思いたいのですよ。
その目で見ると、下半身に比較して、ここでの人間のアタマが いやに小さいのが解るのですよ。
つまり、ここでは、考える人ではなくして、自然に身を投じ、自然に赴くまま、むしろ、“ 考えない人 ” を表現したかったのだ と思えませんか?--------。
※ 画像は検索より お借りしました。
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