2011年8月20日土曜日

戦後すぐの遠足

 
 

 終戦のすぐあと、6年生であった昭和20年の9月、蔵王温泉(当時はまだ高湯温泉)に食糧持参での遠足があって、その途中始めてアメリカ人を見たのでしたよ。 
 半郷町目指して歩いていると、上の山町方面よりモウモウと砂煙りをあげて一台の自動車が走ってきてスレ違ったのですが、その運転手はまさしくアメリカ兵でした。 
大体、その当時の街道には “ 自動車 ” など走っていないので、そこにかなりのスピードを出してジープが走り去って行ったのだから驚いたのも無理はなく、大変なショックでした。
 
戦後のすぐあとに、どうして遠足などやったか分らないのですが、全員 自分の分のコメを大事に持って、よたよたになって温泉に到着し、ひと休みのあと龍山(りゅうざん)の頂上まで登り、そこから、山形市を眼下に見下ろし、そして下山のあと一泊、翌日夕方、母校の山形第七小学校に到着。 

 考えてみれば、コジキの子供の行列のような様相でした。然し、終戦のすぐあとの頃はまだ良かった筈で、最低生活は、そこらあたりから始まったような気もしますね。
 昭和22年から23年頃が最もひどかったような気もするし、24~25年まで続いたような記憶もあるし・・・・。

 ●一番左の子供に書いたコメント---まともなリュックサック ゲートル ズック靴
 ●二番目---入学当時のランドセル 水の入ったビン フクロ
 ●次はジープ----始めて見たアメリカ人
 ●その次の男の子---ハケゴ(リュックの代わりに持って行った農業用のワラの入れ物) スペアのワラジ
 ● 一番右の男子----唐草模様の風呂敷 中には自分用のコメ、サツマイモのふかしたもの・サツマイモと云っても現在のとは違って水っぽくってビシャビシャしていた。 ムギメシのオニギリ つけもの ビンに入れた水。ゲートル ワラジ。

 ゲートルはゆるんでズリ落ちて下に たごまって 来ましたよ。「たごまって、は山形の方言、固まって、に近い」

  以上、前にも載せたものですが、再度 載せてみました。

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