上は 硫黄島玉砕
下は 沖縄玉砕
これに加えて、サイパン玉砕もありましたね。
各紙とも、読売新聞、当時は「読売報知」。
硫黄島、沖縄、とは、並んでいる文字こそ違っていても、中身に於いては同じようなもの。
従って、当時、読んでいる側は苦渋のツラをして「またか〜」でオワリだったような気がします〜。
------それが どうした〜〜と言われても答えようがないのですが、この「またか〜」には万感込めてあったような気がするのですよ。
つまり、この先はどうなるか?、となれば「またか〜」の挙句、行き場を失った大日本帝国の臣民は、いずれもが “ 御名御璽 ” 、つまり、そこ迄でオワリ、更なる米軍機の爆弾投下によって殺されるのが早まる〜〜、と、そう嘆息したと思うのですよ。
事実、それらの 島々 から 日本 本土 へと押し寄せて飛んで来たB29の猛爆は凄まじい勢いでしたからね。
まあ〜、シンボリックなのは、たった2発とは申せ、ヒロシマ、そしてナガサキへの原爆投下でした。
そしてその後はトウキョウ-------へと、これも多分大きく叫ばれたと思いますよ。
とは言え、そう至る前にギブアップを宣言したので、完全滅亡迄には至らずに避けられたにせよ、この国には、そんな時代もあった------と、それをキチンと憶えておいて下されば、との思いから載せた次第でした。
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