2011年10月30日日曜日

不沈戦艦 大和

 
 私の描いた「戦艦 大和」ですが〜。
 その出来栄えは まずとして-------。

 
 その大和は、改造の連続によって、まるで蜂の巣のように、砲塔で取り囲んだサマに変幻?しましたね。
 その意図は分かるのですが、相手の米軍は、実際攻撃では、主として、それらの砲撃の射程距離の外から爆撃機をもって、真上から爆弾を投下し攻撃を加えたのではなかったですか?。
 勿論、雷檄機の使用もゼロではなかったかとも思いますが。

 つまり、米軍は、ここでは 本来の雷撃機による作戦ではなく、主として、爆撃機で対応したと記憶しているのですが-----。

となると、たった それだけの作戦変更で、大和は あっさりと海底の藻屑と消えた〜〜となったとなるのですが〜。

 --------重ねて申せば、大和は、その作戦に対応出来ず、これ等の蜂の巣砲台?は、殆ど機能を果たさずにオワリを迎えたのでしょうか。

 ナントカは、総身に智慧が廻りかね---云々 そんな文言がありましたね。
 ともあれ、莫大なカネを費やして作り上げた超弩級戦艦でありながら、結局は、単純に沈没してしまう低レベルの軍艦で、思えば簡単に予期出来た幼稚な最期だったでしょう〜。

  -----------それってホントなのかなア〜〜。

 思えば、緒戦での、イギリス戦艦 プリンスオブウエールズとの戦いでは、海上すれすれに近寄った日本海軍の航空機が、波状攻撃で魚雷投下を繰り返し、それをもって不沈艦を沈めたわけでしたが、思えば、あれは大成功でしたね。

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