昭和23年(1948)1月26日、白衣に「防疫班」の腕章をした男が帝国銀行椎名町支店を訪れ、男は東京都の衛生課員を名乗り、「近くで赤痢が発生したから予防薬を飲んでもらう」と言って、行員ら16人に青酸化合物を飲ませる。
その間、現金・手形約18万円を強奪。結局、12人が死亡。
これが世に言う帝銀事件。
当初、犯人は青酸化合物の扱いに詳しい旧陸軍の細菌部隊の人間とされ、特に731部隊関係者の犯行と言 う噂がつきまとった。
結局、その年の8月21日にテンペラ画家平沢貞通を北海道小樽市で逮捕、昭和30年(1955)4月6日に死刑が確定。しかし、明らかな物証がないことで冤罪説も根強い。
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以上 記事も写真も検索からです。
私の「終戦前後2年間の新聞切り抜き帳」の最後は(戦後最初の)第二十二回総選挙当選代議士名鑑(1946年4月10日)、これで終了したのですが、その後の「帝銀事件」(1948年1月26日)が、あまりにも大きな事件だったので、それを機会に再度継続しようと一旦は考えて、切り抜きをしばらく保存しておいたものでした。
然し、確かに大事件だったとは云え、ブランクも長く続いていた事もあって、やはり継続はムリだと判断し切り抜きもすべて没にしました。
ただ、切り抜いた新聞は、最近まで残っていたような気もしましたが、処分していましたね。
因に、その日の毎日新聞に載った写真は、仰向けに虚空を掴んで倒れている女性の姿、つまり縦に長い写真であった・・・そんな事まで覚えているのですが・・・。
載せた写真の、倒れている女性の姿を、もっと縦位置からシャッターを切った感じでした。
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