2010年7月1日木曜日

帝銀事件




帝銀事件(ていぎんじけん)とは、1948年(昭和23年)1月26日東京都豊島区帝国銀行(後の三井銀行。現在の三井住友銀行椎名町支店で発生した毒物殺人事件。
戦後の混乱期、GHQの占領下で起きた事件であり、未だに多くの謎が解明されていない。

 昭和23年(1948)1月26日、白衣に「防疫班」の腕章をした男が帝国銀行椎名町支店を訪れ、男は東京都の衛生課員を名乗り、「近くで赤痢が発生したから予防薬を飲んでもらう」と言って、行員ら16人に青酸化合物を飲ませる。
 その間、現金・手形約18万円を強奪。結局、12人が死亡。

 これが世に言う帝銀事件。

 当初、犯人は青酸化合物の扱いに詳しい旧陸軍の細菌部隊の人間とされ、特に731部隊関係者の犯行と言 う噂がつきまとった。
 結局、その年の8月21日にテンペラ画家平沢貞通を北海道小樽市で逮捕、昭和30年(1955)4月6日に死刑が確定。しかし、明らかな物証がないことで冤罪説も根強い。

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 以上 記事も写真も検索からです。

 私の「終戦前後2年間の新聞切り抜き帳」の最後は(戦後最初の)第二十二回総選挙当選代議士名鑑(1946年4月10日)これで終了したのですが、その後の「帝銀事件」(1948年1月26日)が、あまりにも大きな事件だったので、それを機会に再度継続しようと一旦は考えて、切り抜きをしばらく保存しておいたものでした。
 然し、確かに大事件だったとは云え、ブランクも長く続いていた事もあって、やはり継続はムリだと判断し切り抜きもすべて没にしました。
 ただ、切り抜いた新聞は、最近まで残っていたような気もしましたが、処分していましたね。

 因に、その日の毎日新聞に載った写真は、仰向けに虚空を掴んで倒れている女性の姿、つまり縦に長い写真であった・・・そんな事まで覚えているのですが・・・。
 載せた写真の、倒れている女性の姿を、もっと縦位置からシャッターを切った感じでした。

 当時の私は新制中学時代。

 因に、椎名町は、西武池袋線の最初の駅のすぐ近く。私が日常的に利用している線なので、下りて確かめに出向いた事がありましたね。
 いつぞやその銀行は最近まで存続されていたような記憶もあるのですが、現在はありません。

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