2010年7月6日火曜日

レッドパージ


 下段の新聞記事「経済復興の焦点」での執筆者は左翼の論客-------と書きましたが、確かに私でさえそう思ったくらいですから時の為政者が快く思うわけがありませんよね。
 加えて、朝鮮戦争が避けられないとみるや、そこで始まったのが世に云う “ 赤狩り ” 即ちレッドパージでした。

 それにしても、狩るに狩ったり、大量の左翼者(疑似左翼、反右翼 etc)、とにかく赤のみならずオレンジであれピンクであれ、それらしき者は一掃されてしまいました。
 まあ〜、マッカサーの威力はたいしたものでしたね。

 以下Wikipediaより

 第二次世界大戦終結後、GHQ/SCAPは日本の民主化を推進し、日本共産党も初めて合法的に活動を始めたが、その結果、労働運動が激化し、また1949年中華人民共和国が成立して、朝鮮半島も不穏な情勢になると、弾圧する方針に転じた。冷戦の勃発に伴う、いわゆる「逆コース」である。
1950年5月3日、マッカーサーは日本共産党の非合法化を示唆し、5月30日には皇居前広場において日本共産党指揮下の大衆と占領軍が衝突(人民広場事件)、6月6日徳田球一ほか日本共産党中央委員24人、及び機関紙「アカハタ」幹部といわれた人物を公職追放、アカハタを停刊処分にした。こうした流れのなかで、7月以降、GHQの勧告により、マスコミ(新聞・放送)、官公庁、企業などでも追放が行われていった。当時の日本共産党は内部分裂状態だったこともあり、組織的な抵抗もほとんどみられなかった。この間の6月25日には朝鮮戦争が勃発し、「共産主義の脅威」が公然と語られるようになった。

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