2011年2月20日日曜日

学生のスタイル

 
 

 載せた写真は 土門拳 の作品からですが、1937年撮影 とあります。
 戦前ですから、もう大昔ですよ。

 ----------それにしても、角帽に詰め襟の学生服の姿が、どうしてこうも鼻につくような姿に見えるのでしょうかねえ〜。
 勿論 私の時代も右倣えに等しく 角帽に学生服姿、が、多かったと思いますが、あの頃はモノ不足の時代でもあり、まだまだ着替えが豊富に用意出来なかった時代でもあったと思うので、学生服一張羅で済ます--------従って角帽も高校生との区別から必要、と、そんな戦後ならでの事情に沿っていたとも思いますね。貧乏社会が そうさせたわけだったでしょう。学生服の下は裸---------てな豪傑もいましたからね。
 加えて、大学そのものが戦前とは全く違って、教育自体がエリート養成ではなく市民育成へと衣替えしたので、校数が ベラボウに増えましたよ。それにつれて、大学生がエリートの座から市民レベルへと降誕?した時代を迎えたのですよ。

 ただ、ここでの写真の学生は、時代からして貧乏人のセガレ共ではなく、大金持ち?のセガレ達ではありませんか。その何やら金ピカ風の背景を背負って歩いている風情ですよね。

 ------------- ともあれ、この写真での頃は、金持ちならでのダントツのエリート意識があったせいでしょうか、一見して目立つスタイルとしての 角帽 詰め襟姿、これが決め手だったようにも思えますが?。
 更に申せば、当然ながら、この服装そのものが学校指定で決められていた時代でもあったのかも。

 それにしても、このような角帽に学生服姿の学生は今でも いるのかなあ〜、ホント今は どうなのだろう?、多少なりとは存在するのかナ!?。これこそ学生のステータスと心得る時代錯誤の輩もゼロではないのかも知れませんね。

 いずれにせよ、今でも、この姿が見られるかどうか、新宿、神田 方面にでも行ってみるとしますか?。

  とにかく、ここでは “ 滅法 古臭い匂いのする ” 昔々の写真をご披露させて戴いた次第でした。

 追記------------ 土門拳はワセダ贔屓だったのかも知れませんが、もし そうであれば、それなりの貧乏学生をも撮ってもらいたかった気もしますな。

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