予科練に行った長兄(T15年生)の同級生の芦野さんから戦争中に頂いた葉書。
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彰君、兄ちゃんは立派な 空の神兵 となったのだよ。
兄ちゃんが居なくても悌二君(※ 註:私の次兄)や姉ちゃんの教えに従って
一生懸命勉強しなさい。
其して、何時もニコニコと笑顔で学校へ行きなさい。
来年は六年で彰ちゃんも中等学校だね。
今から準備して頑張って下さい。自分の弟も今二中(※ 註:市内の第二中学校)の
一年生で彰君と非常に顔が似てゐるので君を見る度に
なつかしい思いがします。
自分も日飛(※註:下記に別途書いた。)へ行って一生懸命働いて居ります。
亦十九日は休みですから兄さん(註 :私の次兄)と二人で遊びに来なさい。
其して一緒に真チャン(私の長兄、予科練生)の武運長久をお祈りに千歳山(※ 註:市の郊外にある。)でもよい摩利子天様(註:神社)にでもよいから行きませう。
では母ちゃん姉ちゃんの言ふ事をよく守って勉強しなさい。
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昭和19年5月15日の消印のもの。
この頃の人々の精神状態は、一見普通のようでありながら、底流には なんとも表現しがたい悲壮なものがありましたよ。
「日飛(当時山形にあった飛行機工場)」で働いていた芦野さんも 結局は志願兵として行ってしまったのでした。聞けば特攻の戦車隊だとの事(但し、戦後無事に帰還して来ましたが)。いずれも皆17~8歳の、まだまだ少年の頃だったわけですよ。
特攻隊の一員として九州 鹿屋飛行場に行った私の兄も いつか申し上げたように帰って来ましたよ。
(その芦野さんも私の長兄も 現在は いずれも逝ってしまっていない-----遠い遠い昔の話でした。)
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