C級 戦犯と称する かなりの人数の裁判も行なわれました。
載せた画像では、俺を殴った男だ、とか なんとか 名指しをしている画像ですが、その 殴った事で戦犯にされた状況の画像のようです。
これらの裁判で、どのような判断が下されたものやら、知る由はありませんが結構な人数の、それぞれが 処刑されて消えていったのでしょうね。
つまり、あの戦争の責任は すべてが日本が負うべきであり、米国は全く論外とされていた裁判でもありましたね。
何度も申し上げますが、勝てば官軍、負ければ賊軍、とのセオリーが最後まで忠実に守られて行なわれた「勝ち負け裁判」のようでした〜。
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