いつであったか、ここで取り上げた掲載文から、再度 載せる事にしましたので〜。
ある日のこと、先生が黒板に書き連ねたのが以下の「ガダルカナルの戦(いくさ)」。
この時写し取ったノートには日付けはなかったのですが、ノートの前後関係から、多分昭和20年の春頃ではなかったかと思われます。教室全体が重苦しく深い沈黙に陥ったのを覚えています。
この詩を全員に写し取るように先生が命じた記憶はありません。従って全員が写したか、又は何人かがそうしたか、それとも私一人だけが写し取ったか、それも分かりません。ともかく悲痛なその詩は半世紀以上、こうやって私の手許に残る事になったのです。
この時写し取ったノートには日付けはなかったのですが、ノートの前後関係から、多分昭和20年の春頃ではなかったかと思われます。教室全体が重苦しく深い沈黙に陥ったのを覚えています。
この詩を全員に写し取るように先生が命じた記憶はありません。従って全員が写したか、又は何人かがそうしたか、それとも私一人だけが写し取ったか、それも分かりません。ともかく悲痛なその詩は半世紀以上、こうやって私の手許に残る事になったのです。
粥
ここにして これあり
これぞ この米のかゆ
はろばろと数千里
よよあし原みづほの国のみたからだ
ひととせを汗にまみれて
磨き上げたる 真珠宝石
わだつみの逆巻く潮を
のりきりて
いのちに代へて海軍さんの
護り来し神のたまもの
敵機の下をころびて
雨なすたまの中はひつ
汲みたる水を 飯盒にいれ
爆撃ごとに火を消して
去りては又焚きつけ
つとめて煙出さぬごとく
ねじり鉢巻して焚き上げたる
この味は二つなし
いささかの塩っぱい海水に
とぎしたの(1字不明)も
(わが涙までまじりしならじ)
いざ喰らへ
わが戦友(とも)よ
喰はで死にし
わが戦友(とも)よ
これぞこの米の粥ぞ 吉田 嘉七
ガダルカナルの戦(いくさ)から。
一、ジヤングルに深くこもれば
雨は夜々肌へを洗ひ
壕内に日々を送りて
敵弾を常に浴びつつ
いつの日に友軍機飛び
糧来るや われらは知らず
されどただわれらは信ず
われらは勝つと
二、幾日ぞ弾丸(たま)を撃たざる
幾日ぞ米を喰はざる
屋根なせる「星」の翼
(「星」とはこの場合「星条旗」を指す)
ジャングルに木のかげは失せ
嵐なす敵の弾丸に
つぎつぎに友はたふれぬ
されどなおわれらは信ず
われらは勝つと
三、みかへればやせさらばえて
肉そげし ほほよ 腕(かひな)よ
よし弾丸は免れ得とも
長くよし 生きてあるまじ
友軍機いまだ飛ばざる
糧秣(りょうまつ)も遂に来らず
しかも尚われらは信ず
御国は勝つと 吉田 嘉七
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