景色の、濠の 右向うが 山形城趾で、その当時 戦時中は、陸軍 山形部隊( 三十二聯隊) の兵屯地でしたね。
勿論、中には入れませんでしたが、年に一度の 軍旗祭の時のみ入れたのを記憶しています。
当時の我が家は、線路の左から程遠い程度の所にあったのですが、當然ながら何もかも変わってしまって、どこがどうなったのか全く分からずに現在に至っている次第〜 。
この繪の右側、鉄道路線が走っている その上の方に 山形新幹線 との文字が見えますが、その文字の「線」のあたりに昔々の我が家がありましたね。
現在は残念ながら、そこに住む我が家関連の親戚縁者は皆無です。
「ふるさとは、遠くにありて思うもの、そして悲しく謳うとこ よしや うらぶれて井戸のかいとなりたるも、帰るところにあるまじや〜云々」
------- そんな詩文がある通り、今更ながら帰って涙を流すのは無粋と申すものでしょう。
ともあれ、聞くところでは あの辺に限らず、景色は更に一変しているとの事ですから〜。
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