2011年8月15日月曜日

終戦の日 続き

 
 

 大日本帝国崩壊の弁と法外な未来指向

 
簡単に申せば・・・日本人の心に潜むもの、それは、蟻のごとくの集団行動、一糸乱れぬ途方もない精神力(例・武士道)、等々と云われますが、それはそれとして・・・・神代の昔から育んで来た日本人の日本的な発想、それとは全く異質な西欧的なモノの考え方、それらについての認識に決定的な甘さがあったのではないか?...それは米英アングロサクソの科学や思想に対する底知れぬ追求の姿勢と、それを支える成果主義・・・・結果的に それから齎された彼等が得た科学的技術的発明発見、加えて、本来なら拒絶すべき人種として存在するユダヤ人アインシュタイン等への敬愛、更に、途方もない夢としか映じないマンハッタン計画だの、とかとか、当時の狭隘な精神力一辺倒の日本人の考え方とは まるで違った思考経路と世界観までに認識が至らず、単に、驚いただけで、それを敷衍して考えるだけの心のキャパシテイの狭さに問題があったのも事実でした。
   
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 その結果として....日本が負けたにせよ、それは アメリカ兵に負けたのではない、ホントのところは彼我の思想の大きさ?と科学力の差、その例は
原爆、たった二発とは申せ、その全く予想もしていなかった異質なモノ、それが日本を敗北に至らしめる最大の原因・・・・そう考え、日本に最も必要だったのは科学的思考と成果、然し、現実としては、それらの不足と欠除、そこにこそ敗北の遠因があったのだ、とする敗北の弁・・・・etc 実際、日本とは違った哲学思想のもとで、それらの成果を齎したアメリカ礼讃の口実は、その後イヤと云う程聞かされましたよ。
     
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 その頃からの時点で、アメリカは単なる日本に対する勝者との視点では捉えずにして、むしろ偉大な科学者の集団、と、まあ見習うべき師として見つめる・・・そう気持ちに変容が生じ来た・・・--------- そうは思えませんでしたか。従って、降伏に対する屈辱感など皆無だったと思われますが?。

 その後、やって来た進駐軍に対する歓迎ぶりを思い出して下さいな。異常な雰囲気でしたよ。いくら 昨日の敵は今日の友・・・とは申せ、その歓迎ぶりには当のアメリカ兵が最も驚いたと云うではありませんか。

 日本は戦争に何故負けたのか。それはドイツとは違う、日本が負けたのは とにかく、科学力の差・・・そこにこそ敗因があったのだ、と、とにかく これでしたよ。従って、くどいようながら、
日本が負けたのは武士道の欠除とか戦力や作戦等の不足と失敗に起因するものではない、あくまでも彼等の世界観と科学力の差、そこにあったのだ・・・・これ一辺倒でした。

 そこには、当時よく耳にした、 資本主義国家同士の 植民地争奪、生産力の差、資本家とプロレタリアートとの間の相克、etc・・・・それ等の基本的と云われるイデオロギーに対する視点、それらは、偏った思考として 全部飛ばし、ともあれ、国家を支え繁栄を齎す諸技術や理論、それらに於いて太刀打ち出来なかった・・・これを他山の石として、これからは、あちらに負けないだけの研究と開発をして科学立国を目指さなければならない、それへの視点は絶対に疎かにしてはならないのだ・・・・・と、プラス指向 ----- まあ そんな云った案配でした。然し、別にそれが間違ってはいたとは思いませんがね。

 くどいながら、戦争は罪悪であり、当然ながら罪の意識を以て償わなければならないのだ、とする 道義的、宗教的視点からの悔悟の念は全く芽生えませんでした。・・・・・そう思いませんでしたか?。

 むしろ日本に於いては 単純に すべてのマイナスを転換させてプラス指向へ向かう・・との上昇意識が醸し出されて来たのではありませんか!?・・・。 

 くり返しますが、日本人には 道義的 宗教的な罪の意識は、まず生じませんね。“災いを転じて福と為す”この一言でスイスイと世の中が動いて行くのですよ。

 以上、そんな視点もあった筈---- と考えたものでしたが?・・・・。

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