私の母親は 日本海寄りの山形県庄内地方の寒村生まれ、時は明治時代、当然ながら学校など無かった時代。
従って文字も書けず読めない単なる百姓娘でした。
母が申すには、それが当たり前だったとの事。
父親は名文名筆家でしたが、すべては独学によったとの事でした。
思うに、それは一般的で、何の不思議もありませんでしたね。
-----------と云う事で、当時、身のまわりの大半の親達は文盲だった!のです。字が書けるのは、それを必要とした男性達の中で 特に努力した者か、それなりの上流家庭の御方達だったのでしょう。
然し、笑ってはいけませんよ。
字が書けると云っても、どこ迄 書けたか読めたか、それも問題でしょう。
候(そうろう)文で分かるように、読む事自体に、それなりの才能が必要とされた時代でもありました。当時は口語体ではなく、大半が候文での文語体書きだったと思われるからですよ。
候文では現在の私共ですら避けて通るでしょうなあ〜〜。
つまり、かっての時代であれ、それをマスターするとなると大変な難行苦行だったでしょうよ。
一方、小説として名高い??源氏物語を見なさいな。読めますか?。
確かに、それは女文字文体で書かれていたもの、現在の我々ですら読めないくらいですから、書くとなると当時の、これも、下々の婦女子では当然ながら避けて通ったでようなあ〜〜。
いずれにせよ 到底 書ける筈がなかった、加えて読む事も出来なかったと思いますね。
結論----------当時の大日本帝国日本 では、そんな事なども重なっていて、臣民の大部分が文盲だったのでした。
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