2010年5月29日土曜日

文盲


 私の母親は 日本海寄りの山形県庄内地方の寒村生まれ、時は明治時代、当然ながら学校など無かった時代。
 従って文字も書けず読めない単なる百姓娘でした。
 母が申すには、それが当たり前だったとの事。

 父親は名文名筆家でしたが、すべては独学によったとの事でした。

 思うに、それは一般的で、何の不思議もありませんでしたね。

 -----------と云う事で、当時、身のまわりの大半の親達は文盲だった!のです。字が書けるのは、それを必要とした男性達の中で 特に努力した者か、それなりの上流家庭の御方達だったのでしょう。

 然し、笑ってはいけませんよ。
 字が書けると云っても、どこ迄 書けたか読めたか、それも問題でしょう。
 候(そうろう)文で分かるように、読む事自体に、それなりの才能が必要とされた時代でもありました。当時は口語体ではなく、大半が候文での文語体書きだったと思われるからですよ。
 候文では現在の私共ですら避けて通るでしょうなあ〜〜。
 つまり、かっての時代であれ、それをマスターするとなると大変な難行苦行だったでしょうよ。

 一方、小説として名高い??源氏物語を見なさいな。読めますか?。
 確かに、それは女文字文体で書かれていたもの、現在の我々ですら読めないくらいですから、書くとなると当時の、これも、下々の婦女子では当然ながら避けて通ったでようなあ〜〜。
 いずれにせよ 到底 書ける筈がなかった、加えて読む事も出来なかったと思いますね。

 結論----------当時の大日本帝国日本 では、そんな事なども重なっていて、臣民の大部分が文盲だったのでした。

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