2010年7月11日日曜日

東条大将

東條 英機(とうじょう ひでき、新字体で東条 英機[1]明治17年(1884年7月30日(戸籍上は12月30日) - 昭和23年(1948年12月23日)は、日本陸軍軍人政治家。現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任した(在任期間は昭和16年(1941年10月18日 - 同19年(1944年7月18日)。
階級位階勲等功級陸軍大将従二位勲一等功二級永田鉄山の死後、統制派の第一人者として陸軍を主導する。日本の対開戦時の内閣総理大臣。また権力の強化を志向し複数の大臣を兼任し、慣例を破って陸軍大臣参謀総長を兼任した。敗戦後に連合国によって行われた東京裁判にて「A級戦犯」として起訴され、1948年11月12日絞首刑の判決が言い渡され、1948年12月23日巣鴨拘置所死刑執行された。享年65。
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 HPのどこかに書いたのですが、東条大将は見かけとは別に非常に気の細かい人物であったようです。
 その例として記憶に残っている事に、彼が山形市に来られて、時の招魂社に参拝されたおり、揮毫のために出された硯と墨を見て、この墨を、先が真っすぐに摺り減っている墨と取り替えて欲しい、と申された時は並みいる連中すべてがウームと唸ったとの事でした。その時の墨は よくある事で斜めに磨り減っていたのでしょうね。
 それとは違う事ですが、多分その時の事、閣下が汽車で通られるので、近くの児童達は手を振ってお見送りをするように、との学校からの達しがあったので、時間に合わせて、線路際に並んで立っていたところ、通り過ぎた汽車の窓から精一杯身を乗り出して手を振って応えてくれた時の感動は今でも忘れられませんね。
 こちらは、たかが小学生なわけですから、閣下は多分目もくれず走り去るもんだと、そう思い込んでいましたよ。それだけに閣下の姿が脳裏に残りました。
 後年、そんなハナシを某人に話したところ、東条はそのタグイの芸に於いては 人並み以上芸がこまかかった、と聞いて せっかくのいいハナシが破けて空に飛んでしまった感じがしましたナ-------------。

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