2011年3月6日日曜日

最初の「玉砕」

 
 
 玉砕」の始まり  第二次世界大戦の中で最初に報道発表に使われたのは、1943年昭和18年)5月29日アリューシャン列島アッツ島の日本軍守備隊約2,600名が全滅した時である。「全滅」という言葉が国民に与える動揺を少しでも軽くし、“玉の如くに清く砕け散った”と印象付けようと、大本営によって生み出された、いわゆるダブルスピークである。もっとも、この時も、実際には全員が死に絶えた訳ではなく、守備隊2650人のうち、29人が捕虜になっている。
 大本営発表。アッツ島守備部隊は5月12日以来極めて困難なる状況下に寡兵よく優勢なる敵兵に対し血戦継続中のところ、5月29日夜、敵主力部隊に対し最後の鉄槌を下し皇軍の神髄を発揮せんと決し、全力を挙げて壮烈なる攻撃を敢行せり。爾後通信は全く途絶、全員玉砕せるものと認む。傷病者にして攻撃に参加し得ざる者は、之に先立ち悉く自決せり。
 載せた絵は 藤田継治 画
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 その時に流された曲が下記「海ゆかば」で、以後 玉砕でのテーマ曲?でしたね。

 海ゆかば

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ

海行かば』(うみゆかば)は日本軍歌ないし歌曲の一。
詞は、『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」(『国歌大観』番号4094番。『新編国歌大観』番号4119番。大伴家持作)の長歌から採られている。作曲された歌詞の部分は、「陸奥国出金詔書」(『続日本紀』第13詔)の引用部分にほぼ相当する。
この詞には、明治13年(1880年)に当時の宮内省伶人だった東儀季芳も作曲しており、軍艦行進曲の中間部に今も聞くことができる。

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