2011年3月4日金曜日

戦艦 長門

 
 健全であった当時
 
  戦後の姿
 戦艦「長門」完成当時の1920年では世界最初であり、かつ最大口径の16.1インチ(当時日本はメートル法を採用していたため実口径は41cmちょうど)主砲と、当時の戦艦の中では非常に高速である26.5ノットの機動力を持つ高速戦艦で、世界の軍事史や軍艦史にも大きな影響を与えている。
 2番艦の「陸奥」と共にその高性能故に、各国海軍から注目され、当時大艦巨砲主義に染まっていた列強海軍の熾烈な建艦競争に、ワシントン海軍軍縮条約による一定の歯止めを与えるきっかけとなったのも本艦であった。
 完成後に連合艦隊旗艦となり、第二次世界大戦後に有名になった戦艦「大和」が戦中は存在そのものが極秘だったこともあり、戦前と戦中には長門・陸奥こそが日本海軍を代表する戦艦として、国民から親しまれた。太平洋戦争開戦時には戦艦「大和」が完成前で、連合艦隊旗艦として連合艦隊司令長官 山本五十六大将が座乗していた。 
 太平洋戦争中は「大和」「武蔵」に次ぐ主力艦として温存され、終戦まで稼動可能な状態で生き残った唯一の日本戦艦である。
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 戦時中は「大和」「武藏」は知らされぬ存在だったので、確かに「陸奥」「長門」こそ主力戦艦であるとの認識がありましたね。ただ、その二艦とも、どこでどうしているかは知らされていなかったわけですから、終戦になって、新聞雑誌等で、半身不随?の如き姿を見た時は喜んでいいものやら どうやら と迷いましたよ。

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