2012年6月3日日曜日

B29蔵王に墜落


ありましたねえ〜。
蔵王に墜落したB-29の記事です。
その時の残骸を集めて、市内の小学校の講堂で、展示会が開かれたので、先生に連れられて見に行かされました。
 それは、もう終戦も間近に迫っていた頃だったとも思うのですが、勿論、その気配は全く感じませんでしたが〜〜。

それはそれ〜〜。
まず、入り口のそばの銀杏の木にもたれて立っていたプロペラと、ゴム製のタンクの大きさに肝を潰しましたね。

 穴のあく程綿密に見て来たのですが、その中にたった一つ、東北地方の地図の中の、各都市(特に山形市)につけられていた赤丸印が今でもはっきり記憶に焼き付いて残っています。単なる県庁所在地としての赤マルであって、まさかこれからの爆撃目標でもあるまいが、とは思ったものの、不気味な赤丸印でしたね。

 今更ですが、不思議に思う事は、B-29が、いくら こちらに飛んで来ようが、それに対するこちらからの、高射砲による攻撃であれ、何であれ、武力攻撃が、ただの一度もなかった、と、この事実だったでしょうか。
 勿論、こちらには チョー秘密兵器があって、いざとなれば〜〜------とか、とか、の、噂は聞いていたものの、一度たりと、それらしいモノは見られず、でしたね。

 つまり、その頃、この日本は、B-29の為すが儘の状況だった、と云う事だったのでしょう〜。このイクサは、完全に負け戦で、もう敵の為すが儘、こちらは完全に受け身の状態-----------。
 まあ〜それには気がついていたとは云え、やはり心の中には、いずれ、 こちらの勝利の日が 必ずや、やって来る〜〜とは、その心のどっかに、頑丈に閉じ込めてはありましたよ。

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