戦後の「ヤミや」(闇屋)。
戦後の消費物価は、勿論 統制価格として立派に存在していたわけですが、如何せん その統制価格で手に入る配給品だけでは生きていけませんでしたね。
一方、カネさえ出せば それなりの価格で、いくらでもモノは手に入る-----との闇市場も存在していて、結局のところ、当時は、二重構造の物価が成り立っていました。
そのヤミ市場に活躍したのが 通称 闇屋(やみや)と称された行商人が主でした。
載せた写真は結構有名な写真かと思うのですが、ここでは典型的な闇屋の姿が出ている感じがしますね。
0 件のコメント:
コメントを投稿