その当時は、私は小学生ですから、驚いて悲しんだ〜と、それだけの事でしたが-------。
その後、気になったのが、このような発表は、発生と同時に発表されるのではなくして、かなりの日数が経ってから発表される、と、その不思議さでしたね。
まあ〜口惜しさよりも、諦め、の方が先に来る、と、それを期待しての発表だったのかも知れませんが。
戦死されたのは四月、発表は五月二十一日です。
いずれにしても、以後 軍の高官 が戦死したとなると、これと同様、一定期間 過ぎてからの発表が続きましたネ----------とにかく、それは変なもんだとの気持ちは最後迄続きましたよ〜。
載せた新聞は、私の切り抜きからではなくして、後年 手に入れた紙面からです。
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