作は、アレクサンドル・デユマ。
この本を手にしたのは中学生の時でした。
大冊です。
ずしりと堪えるような重さに、子供心ながら一種の恍惚感というか陶酔感みたいな感情(戦慄?)が走ったのを覚えています。
岩窟王の訳本は沢山あると思うのですが、終戦後すぐの頃ですから、多分大正年間(又は明治?)に出版された本ではなかったかなと思われますね。
「なんとか全集」に含まれていたものです。立派な本でした。
その本についてどれだけの事を覚えているか---かなり怪しいモノがありますが・・・・。
当時の文学作品は、現在のとは多少違っていて、文体が講談調というのか落語調というのか、話芸的な表現であったような記憶があります。
岩窟王の翻訳者は誰であったのか、今思うに黒岩涙香だったと思われますが。
然し、名調子の文体であったかどうか、それを判断出来る年令では勿論ありませんでした。
ただ、やたらと漢字が、それも超ムヅカシイ漢字が出て来るので、確かに閉口したのですが、ストーリーを追いかけるのに格別に邪魔であった
という記憶は残っていません。
漢字の意味を踏まえて読んでいくのではなく、多分に調子で読んでいくので、漢字の難易度はそれほど気にならなかったのだと思います。
物語りの主人公は「エドモン・ダンテス」。然し、その本では、なんと「団・太郎」と、日本名に改めてありましたね。
考えればおかしな訳し方で、現在では全く有り得ない訳し方。但し、当時は別に不思議でもなんでもなかったですよ。
類似の小説は他に何編か読んだ覚えがあったので「あ、又これか。」と軽く受け取って済ませていました。
巴里とか倫敦とか亜米利加とか、日本名ではないにしろ日本読みですべて統一されていたので、それでよしとした時代背景があったもの。
太郎君が巴里で仏蘭西人になって活躍するなんて、ステキではありませんか。
今でもそう思いますよ。--ただ、登場人物すべてが日本名であったかどうか、ちょっとそこまでの記憶はありませんね。
読み出してすぐ、のめり込みました。
テレビや動画、劇画、そしてマンガ----それらが溢れている昨今と違って、当時の分厚い書物は場合によりけりですが子供にとっても生活必需品
でしたね。
とにかく夢中になって読みふけったのを覚えています。
この本には哲学とか思想とかの難しい問題は入っていません。いうなれば紙芝居の延長線上にあるような単純なストーリーですよ。
子供の頃いじめられた男が大きくなっていじめた男達にシッペ返しをするような話ですから、スカッとするハナシ・・・・。
覚えているストーリーは下記のようなもの〜。
---太郎君の結婚式のその日、謀略によって太郎は捕らえられ牢に入れられてしまいます。とんでもない長い期間の牢獄生活が続きました。
ある日、となりの牢屋に一人の老人がいるのに気が付いて、秘密裡に会うようになりました。
太郎はその老人から様々な事を教わり知らされます。
やがて老人が死ぬと同時に太郎は脱獄を計り、成功します。
老人から教わった宝の島で膨大な宝物を見つけ、その財力をバックにして名前を伯爵の名に変え、かっての土地に戻って来て、敵の紳士達を
次から次へと葬り去っていきます。
最後は若い娘と一緒に地中海のどっかの島に向かうところで終わりになっていました。
伯爵が昔の太郎である事は誰にも知られず最後までそれで押し通せたのですが、たった一人気が付いていた者がいました。
それは、かっての結婚する筈だった女性です。
その女性は敵の紳士と結婚し、すでに青年になった息子(アルベール大尉?。)もいたのですが、伯爵は、その青年だけは殺す事が出来ずに、
見のがしてやった----とかなんとか・・・・
そんな筋書きであった記憶があります。
今、覚えているだけの内容と云っても、それで精一杯です〜。
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