2012年2月26日日曜日

「東洋のスイスたれ!」

 以下は、2008年.07月に載せた「小さな論調」の中からの一編です。

「東洋のスイスたれ!」
-----あれは一体何だったのだろうか。かっての日本の進路はそうだった筈だったが・・・・----。

 戦後、真っ先に日本中に溢れた国民的なスローガンは「(日本は)東洋のスイスたれ!」でした。
 平和を愛し、戦争は永久に行わず永世中立を守る事。乏しい資源を有効に利用するため大型の艦船や航空機の
生産を廃し、時計やカメラ等の日本人が得意とする産業を振興させる事・・・・等々、と、それはそれは、高々と
理想を掲げた素晴らしいスローガンだったのです。

 「東洋のスイスたれ!」----ご年輩の方々には ひと際なつかしく響く言葉ではないでしょうか。
当時、あれだけ声高に叫ばれていたのですから、本来ならば 今もって日本は永世中立を守っていて然るべき
だった筈です。又、乏しい資源を有効に使うのであれば、膨れ上がった輸入品を抱えて身動きの取れないブタのよう
な日本国民は生まれて来なかった筈です。更にアメリカの尻馬に乗って自衛隊を海外派遣するという愚挙も行わない
筈です。
 この状態では実戦参加はもう目の前だと申し上げてかまいません。制度疲労を生じている国の仕組みからは平和の
展望は見えてきません。
 本来の日本はスイスのような平和で小さな国を目指して頑張る筈だったのにどうしたわけでしょうか。

 世の中はその都度変わっていくのだから国の方針もそれにつれて変わっていって然るべきだ---と、確かにその
理屈には筋が通っています。だとしたら「国是」と申す国家のポリシーは融通無碍なもの、つまり時に応じて変幻
自在に変化するもの----それでもOKなのだとなります。

 だからこそ「天皇陛下万歳!」が急展開して「マッカーサー万歳!」になったというのでしょうか。国家としての
座標のブレが大きすぎると思いませんか。どうでしょうか。
 ならば、「スイス」の代わりに「日本は東洋のアメリカたれ!!」と入れ替えて称した方がスッキリしたかも知れ
ません。
 少なくとも「スイス」と叫ばれたのは、1945年からたった5年間。1950年に朝鮮戦争が始まった事で日本に警察
予備隊が出来、それが、あっと云う間に保安隊、そして自衛隊、となって「スイス」はいつの間にか「アメリカ」
に取って変わられてしまったようです。

 「スイス」が消滅した事を嘆いているのではありません。国家としての座標に「ブレ」のみならず「ズレ」が亦
大きい点を申し上げたいのです。

 本家の「スイス」は現在でも当時のままの「スイス」。「アメリカ」も変わっていません。変わったのは
「ニホン」です。
 私のこれまでの人生で、国のポリシーに大変換は何回あったろうか。詳しくは省略しますがとにかくコロコロと
目まぐるしく変わっているとの印象が強くあります。

 世界の情勢は常に変化していくのだから、国家の基本的な針路もそれに合わせてその都度変えていかねばならない
のだ-------そんなカメレオンみたいな、バカなポリシーってあってはならない筈です。貴方は一体どう思われる
でしょうか....。

●yahoo検索 東洋のスイス140万件

●google画像イメージ検索と件数 東洋のスイス 2.850件 

 ※ 「東洋のスイス」----これで検索すると、日本の精密産業の地 長野県諏訪地方 が多数出てきます。
「東洋のスイス」のかけ声はいつのまにか矮小化され、小さな地方の単なる代名詞に落込んでしまっています。
(2008.07) 

0 件のコメント:

コメントを投稿