2012年2月20日月曜日

終戦直後の国史の勉強

 終戦となり、学校が再開されて、最初に云われたのは
「これからアメリカ軍がやって来て、これまでとは全く違ったアメリカ的な日本の歴史を教えるようになると思われるので、今のうち、もう一度
キチンと、 本当の日本の歴史を教える事にします・・・・」との事でしたね。

 上級生である私共六年生と、その下の五年生 全員が、講堂に集められ、予定としては、その年の暮れ近く位迄だったと思いますが、
 その講堂を教室として、改めて、日本の歴史「国史」を教わる事になりました。

 考えてみれが、当時の校舎の大半は、終戦まで日本軍の軍医学校に占拠?されて、各教室は終戦になっても直ちには使えない、と そんな事情も
あったのかも知れません。

 その授業での最初の項目は確か下記の詩文<大八洲>だったと記憶しています。但し 現在覚えているのは最初の数行だけで、あとはキレイに
忘れ去っていますが・・。
 授業は 講堂ですから、全員ベッタリ座り込んでの窮屈な授業でした。おまけに 残暑が直接利いて、惨めな授業だったとの記憶も残っています。

 ただ、その当時の先生達の意欲と云うのか気構えと申すのか、例え戦争には負けても、大日本帝国臣民としての気概は忘れまいぞ、との燃えるような

気合いは感じられていましたね。

 その時の最初の授業で先生が発した言葉は「ここで日本が負けたのは“天佑です”・・・」この言葉でした。
その時の先生は別のクラスの担任のS先生・・・今でも覚えています。

 とは申せ、正確には、その時の授業がどれくらい続いたのか正確には覚えていません。
 ただ 実際に進駐軍がやって来て、チョコレートやチューインガムを先生達に配った時点で?(勿論 想像ですが。)
すっかり崩れてしまったのではなかったのかな・・・そんな感じがするのですが、実際はどうだったのでしょう?。
いつともなしに、済し崩しに授業は終わってしまったような気がしていますが。

  因に、前述の“天佑です”の一件を私の二つ違いの次兄に話したら「その先生はバカだ!」と一蹴されましたよ。
 先生としては、察するところ皇室は安泰であるとのマッカーサー命令があったとか、と、その事を差しての事だったのでしょうが。

 後年、その時での先生の気持ちを直接先生に尋ねた事がありました。さすが、先生も苦り切っていましたね。

先生が申すのには、あの授業の後半、 秋 近くになって進駐軍がやって来ると同時に、その授業はただちに中止せよ、

との命令が出た との事でした。( 調べてみたら、山形市に進駐軍が やって来たのは、9月19日とあります。)

 でも、実際はそうではなくして、やっぱり、何も知らない進駐軍からのヨダレの出そうなオミヤゲにコロリと
参ってしまった結果ではなかったかなあ~~~なんて、僻み根性もあって、今でも そうも思っているところですが。

 ただ、もうその頃、つまり終戦の年の秋となると、もう“進駐軍万歳!!”の高らかな賛辞の声が巷に溢れんばかりに叫ばれていましたしねえ~~。

 今更ながらのシンキ臭い皇国の歴史など、どっかに吹っ飛んでいた頃でした。

 

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