齋藤彰のブログ
2010年5月10日月曜日
戦後の写真から
1946年とあります。
終戦の翌年です。
経験から申して、この光景は別に不思議でもなんでもない時代でしたね。
私共の場合は、蒸気機関車の先頭に腰を下ろした汽車通学の級友が、橋の上から眺めている私どもに手を振って合図を送る---------それなど日常的でした。
乗客は 通学生等を別にしたら、食料を始め モノを求めて活躍?していた通称 闇屋(やみや)の連中で占められていた筈ですね。
根本的には、車両の絶対的不足の戦後事情が、その根底を為す理由となっていたのでしょう。
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