あの当時 子供だった私に、戦争が齎したプラスは無かったのか・・・・但し それは、いくら子供とは云え不見識な態度であるとの お叱りを承知の上で申し上げますと・・・・。
南方地理に詳しい・・・それも かなり詳しくなっている、との認識があります。ともかく巨視的にもミクロ的にも、 どちらからでも見渡せるような地理通になっているのに気がつきます。尤も、そうとは云え、体系的に学んだわけではないので、その場所での価値評価となると、通常の学問的な視点からとは違っていて、独自の価値観!に基づいている不思議な 環大平洋の地図 が出来上がっているような気がしますね。
大平洋を取り巻く地図を見渡して、 北はアリュウシャンの アッツ、キスカ。東はハワイ。南は 香港、シンガポール、ニューギニア、ガダルカナルからシドニー。加えて、多少その範囲から はみ出す箇所かと思われますが 更に西のインパール迄。それらの範囲が頭に入っています。
弱い箇所があるとしたらシナ(中国)の北東部、これらの地帯は支那事変あたりからの戦線箇所になっていて、大東亜戦争とはちょっと違った年代からの遺物のような気がして 詳しくはありませんね。
以上、纏めて云えば、当時もてはやされたスローガンだった「大東亜共栄圏」その範囲が今でもピッタリ頭にインプットされていますね。
連鎖的に例えばシンガポールではジョホール水道、ブキテマ高地。そんな言葉も思い出します。実際にシンガポールに出向いた時は、さすが それらについての講釈?を仲間に話しても通じないであろうと思い無言で通しましたが・・・。加えて「イエスかノーか・・・」とパーシバル中将に降伏を迫った山下将軍のセリフなど、覚えている私の方が異端児に思われた事でしょう。
※ 以上、私のHPからの転載
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