2010年12月31日金曜日

ベートーベン

 
 

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1] 発音例、1770年12月16日ごろ[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。クラシック音楽史上極めて偉大な作曲家の一人とされる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。

 以下 wikipediaより。

• 身長は167cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の痕でひどく荒れており、決してハンサムとはいえなかったが、表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与えた。

• 基本的に服装に無頓着であり、若い頃の服装はエレガントであったが、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のチェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたし、作曲に夢中になって無帽で歩いていたため浮浪者と誤認逮捕され、ウィーン市長が謝罪する、という珍事が起こったこともある。部屋の中は乱雑さを極めていたが、風呂と洗濯は好み、また生涯で少なくとも70回以上引越しを繰り返したことでも知られている。当時のウィーンでは、ベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、にもかかわらず、どの作曲家よりも尊敬されていたという。

• 性格は矛盾に満ちていて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷になるなど気分の揺れが激しかった。生来の情愛の深さも、無遠慮さのため傲慢で野蛮で非社交的という評判であった。

• 師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。

• パトロンのリヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。1812年

• テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。

• 交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントン・シンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物は嘘が多く、ベートーヴェンの死後、自分の立場が有利になるよう資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしており、それらの逸話にはほとんど信憑性が認められてない。

• 聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。

• 死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスウィックやその妹ヨゼフィーネ等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモンらが提唱するアントニア・ブレンターノ(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。

• メトロノームを初めて利用した音楽家だといわれている。

• 川魚が大好物であった。

• コーヒーは必ず豆を60粒数えて入れたという。

第九 N響から 演奏写真-2

 

 

 
「歓喜に寄せて」

おお友よ、このような音ではない!
我々はもっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか
(ベートーヴェン作詞)

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上の楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
(シラーの原詩:
時流の刀が切り離したものを
貧しき者らは王侯の兄弟となる)
汝の柔らかな翼が留まる所で

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

すべての被造物は
創造主の乳房から歓喜を飲み、
すべての善人とすべての悪人は
創造主の薔薇の踏み跡をたどる。

口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を
創造主は我々に与えた
快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ
智天使ケルビムは神の御前に立つ

天の星々がきらびやかな天空を
飛びゆくように、楽しげに
兄弟たちよ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ

抱擁を受けよ、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
ひとりの父なる神が住んでおられるに違いない

諸人よ、ひざまずいたか
世界よ、創造主を予感するか
星空の彼方に神を求めよ
星々の上に、神は必ず住みたもう

-----------ここで終了-----------

第九 N響から 演奏写真-1

 
 
 

 
歌詞(ドイツ語原詞)
日本語訳は上段

An die Freude

O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und fre

udenvollere.
(ベートーヴェン作詞)

Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!

Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
(シラーの原詩:
Was der Mode Schwert geteilt;
Bettler werden Fürstenbrüder,)
Wo dein sanfter Flügel weilt.

Wem der große Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!

Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!

Freude trinken alle Wesen
An den Brüsten der Natur;
Alle Guten, alle Bösen
Folgen ihrer Rosenspur.

Küsse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, geprüft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,
und der Cherub steht vor Gott.

Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt'gen Plan,
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

散歩道から

 
 
 今日の散歩での影の長さ------- 冬至は過ぎたとは申せ、ともあれ 昼頃での、この長さですよ。
 冷える季節なのも当然だと思いますよ。

 晴れていましたが 〜 “ もこもこ” ~~~と、首に巻く襟巻きは必需品でした。

第九 歓喜の歌

 
 
 本日は毎年ベートーベンの第九(含む、歓喜の歌)が放映される日。

歓喜の歌(かんきのうた、喜びの歌、歓びの歌とも。
独: An die Freude / アン・ディー・フロイデ、英: Ode to Joy または To Joy)は、ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章で歌われ、演奏されるの第一主題のこと。

「歓喜に寄せて」

おお友よ、このような音ではない!
我々はもっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか
(ベートーヴェン作詞)

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上の楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
(シラーの原詩:
時流の刀が切り離したものを
貧しき者らは王侯の兄弟となる)
汝の柔らかな翼が留まる所で

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい
     (以下略)
------------------------------------------------------
この曲は年末放送で年中行事になっていますね。
ただドイツ語で歌われるので、意味は不明。
然しながら、途中、フロイデ(歓喜)〜フロイデ(歓喜)〜- -------と、合唱で入るので、そこだけは理解!--------情けない。
ともあれ、この曲が流れて来ると、やれやれ今年も終わったか、と感無量に落ち入るもの。
------------------------------------
 以下、検索から。

  • N響“第9”演奏会
• 合唱音楽の世界的権威、ヘルムート・リリング(77)の指揮でベートーベン・交響曲第9番「合唱つき」をお送りする。インタビュー、リハーサル風景にも注目。
• 指揮者のリリングは、1933年ドイツ南西部のシュツットガルト生まれ。学生時代の1954年に、シュツットガルト・ゲヒンゲン聖歌隊を設立し、指揮者として活動を開始した。1965年にはシュツットガルト・バッハ・コレギウムを設立。“バッハ演奏の権威”として世界的に知られる一方で、ロマン派や現代音楽の合唱音楽にも積極的に取り組んでいる。N響初登場のマエストロによる「合唱」の世界をお届けする。

2010年12月30日木曜日

動物の色

 

 
 多くの動物の身体の色は、棲む環境に合わせて、本来なら、それに近い色を選択して生存するのがスジだと思うのですよ。
 何故か?・・・同地域に棲息する違った動物等に対するカモフラージュの役目があると考えられるからです。
   
 だとすれば、ライオンは草原に棲息しているのですから、何故 緑色にならないのかな、と云うのが 不思議。
 
  試みに、その視点から色を変えてみたのが 載せたライオンです。
 ------こうすると目立たないし、それなりに 機能アップされている、と思うのですが??・・・。

 その件についての例えになるかどうか、現在、ライオンと同じような薄茶褐色の愛犬を連れ出すと、改めて そう思うからなのですよ。草むらが大好き にも関わらず、ボデイカラーに関してはライオン同様ミスマッチの感は免れません。
            
 この調子でいけば、水棲の河馬などはコバルト色でいいだろうと思うし、同じ水辺に棲むワニなどは、単純な茶色ではなく、カモフラージュを加味して水色に近いグレ-系と考えたいもの。

 ともあれ・・・何であれ、冴えない褐色そのままのライオンは、色彩に関する限り、どう見ても 神様にしては失敗作のようにしか思えません。
        
 万物を司る神様と申しても、もしかしたら強度の色盲なのではありませんか。
                   
 人間は本来なら、そもそもの裸体では、男性は、まあ〜拝金主義が強いのでピカピカの金ピカでどうでしょう?。 従って 衣類も黄金色 ------ 奈良の金色の仏像を見なさいな・・・あれがホントの男性像だと思うのですよ!------。
 女性の方は、肌は美しい花柄模様、衣類は それを加味して 肌に合わせた満開の花の、それもピンクのデザインで よろしいでしょう。

日本兵の処刑

 

 
 ラングーン中央刑務所で執行された日本兵の処刑
 カラゴン<血の入浴>と呼ばれる住民虐殺の罪で日本軍将校の銃殺

山下将軍 死刑

 
 
 
 降伏時は捕虜として扱われたが、すぐに戦犯としてフィリピンのマニラにて軍事裁判にかけられ、マニラ大虐殺、シンガポール華僑虐殺事件等の責任を問われ、死刑判決を受けた。 死刑判決後、米陸軍の法務将校からなる山下の弁護団は、判決を不服としてフィリピン最高裁、アメリカ連邦最高裁判所に死刑執行の差止めと人身保護令の発出を求める請願を出した。しかし米最高裁は6対2の投票で請願を却下し、山下はマニラで絞首刑に処せられた。処刑は軍服の着用も許されず囚人服のままで行われている。
  wikipediaより
----------------------------------------------------------
 栄枯盛衰は世の常、とでも申すべきでしょうか。

東京空襲

 
 

 

 

 
  改めて-------
 かっての日本には、このような惨禍があった事を忘れてはいけません。

2010年12月29日水曜日

まさか--- 雲でした。

 
 
 昼頃、何気なく二階の窓を開けたら-------ワ富士山が近づいて来たか?!?!-------なんちゃって。

溢れる涙

 

「溢れる涙」は、シューベルトの「冬の旅」の 6番目の曲。名曲中の名曲でしょうね。
 私共はドイツ語そのままで聞いていますが、勿論 日本語の訳で歌われる事も屢々です。
 因に、その日本語訳を載せてみました(上)。

 ◉更に別途の訳もありますので、それが下記です。

 雪よ、僕の気持ちはわかっているね、
 どこへ流れて行くのか言ってごらん?
 ただ僕の涙についていけばいいんだよ。
 すぐに小川がおまえを抱きとってくれる。

 小川と一緒に町を流れぬけるんだ、
 活気のある通りに入ったり出たり。
 僕の涙の燃え上がるのが感じられたら、
 そこが僕の愛する人の家なのだ。

 ◉更に更に、別途検索からお借りしたのが下記です。

 沢山の涙が僕の目から
 雪の中に落ちた。
 冷たい雪片が渇いたように
 熱い悲しみを吸い込んでいる。

 草が芽吹こうとする時には
 暖かい風が吹いてこよう。
 氷は割れてばらばらになり、
 やわらかい雪は融けて流れよう。
----------------------------------------------------
 どれが正しい訳なのか、それは別として、各訳が違いすぎるのもいかがなものか、とも思うのでが--------------。          

「冬の旅」

 
 
 シューベルト「冬の旅」
 手持ちのCDは「トーマスハンプソン」。

 その昔であれば「ゲルハルトヒッシュ」、これが定番。但しレコードの時代だったので、現在では手に入れようがありません。
 勿論 「トーマスハンプソン」でも結構なのですが、どうもバリトンと云うよりはテノールに近いので感じが出ませんね。
 この曲集はバスに近いバリトンでないと---------- そう思うフアンは多いのではありませんか?。

保存新聞から

 
 
    保存新聞からです。
 昭和64年(1989年)1月7日。


天窓

 
 

  
「天窓」で検索して拝見させて頂いた 天窓そのものの画像です。
 ----------年末の大掃除の現在、この窓などは、アチラ様では、どうやって綺麗に拭くのだろうか、それが気になった次第でした。
 (余計なオセワですよね。)

散歩道から

 
 犬は全色盲だと聞いていますが、このような花を見ると結構寄って行くので、何となく綺麗だと認識している風情を感じる時があるものですよ。
 但し、色彩とは別の他の事が気になるのでしょうね。

 
 カーブミラーに写った おのれ達の姿です。
 “ まる” はスタコラスタコラと歩くだけ。
 私は毛糸の丸帽に半纏姿。

 
 影の長さが特大?の季節、まだ冬至の頃ですからね。

 
 “ まる ” は無念無想の心境なのでしょう。

年末の大掃除

 
 

 年末の大掃除とは云っても、さほどの汚れも無く、例年通りの略式?でオワリ。
 ただ、この天窓などが、チキンと拭けず、毎年ながら多少の心残り。

2010年12月28日火曜日

散歩道から

 
 
 夕日を浴びて、手すりが黄金食に輝いていました。
 写真では、はっきりしませんが、目に射る鋭さがありましたね。
 偶然とは言え、なかなか見られないと光景と思いましたよ。

最初のPCを購入した頃

 
 

 

 

 我が家にパソコンが入ったのは平成7年(現在は平成22年12月)・・・・当然ながらマック(ブラウン管)でしたが、もう世代が違って、現在では、当然ながら全く違った液晶マック。
 当時のマックは、40万円だったとか、家内は今でも時折話すのですが、私が食卓に四十万円分の札束を積み上げては “ パソコンが入って来るからナ・・・” とか何度か聞かされた由。
 確かに、当時のマックは交渉による値引きなどなかったので、凄い高価に思えました。
 (今はどうなのだろう?。マックもそうなら、ウインドウズの価格など、あの頃からみたら、とんでもない安い値段でしょうよ。)
      
 別件になりますが、これまでの最高に高価な買い物は、マイカー、次いでグランドピアノ、そして このパソコン、と、これ等が最高クラスの買い物になりましたね。
 (現在、クルマは無し、免許返上による。 あるクルマは息子のもの-----息子の財産?!は不明。)
       
 そうとは申せ、パソコンを入れたのは専ら絵を描くためのもので、当時インターネット関連となると私の周囲では話題にも あまり出ませんでした。
      
 写真はその時のもの。座っているのは孫娘ですが勿論 現在では結婚して別姓・・・。
      
 手前のプリンターも一緒に購入した製品、但し、この方は、絵を描かなくなってからは殆ど不要となり邪魔なのでクズ屋に出してしまいましたが。
 現在、そこには最近の液晶のマックが鎮座ましましています。

 載せた絵は最初にこのPCを使って描き上げた作。
 これは、なんとはなく派手な色使いになって、別途 淋しい色とか枯淡の輝き・・・とかなると困難な作業になりましたね。
 別途、蒸気機関車、この方は まあよく出来た方かな。然し、労力が大変だったナ・・・。
 従って、PCを使っての絵は数枚描き上げてオワリ、そのうちインターネットのハナシが出て来たので、PCも新型を購入、サブのウインドウズも新規に購入してあります。それも当然ながら液晶。

 現在は殆どがホームページの作成に終始している、と、それが現状でしょう。

決定的瞬間

 
 

 浅沼 稲次郎(あさぬま いねじろう、1898年(明治31年)12月27日 - 1960年(昭和35年)10月12日)は、東京府三宅村(現在の東京都三宅村)出身の日本の政治家。日本社会党書記長、委員長を歴任した。
 正しい姓名は淺沼 稻次郎。巨体と大きな声で全国を精力的に遊説する姿から、「演説百姓」「人間機関車」の異名を取った。また「ヌマさん」の愛称で親しまれた。
----------------------------------------------
 その時、私はどこかのそば屋でラーメンを食っていた時でした。
  〜ありゃりゃ〜〜でした。
 驚きましたよ。
 全く予測出来ない事とは、このような場合を指すのでしょうね。
 記憶では、その後放映はストップしたような気もしましたが、どうだったのだろうか。

瞬間

 
 
 google検索からですが「瞬間」で検索してみると結構面白い画像が出て来ますね。

ベートーベン「歓喜の歌」

 
 
 大晦日近くなると歌われる 第九「歓喜の歌」-------今年も、その季節がやって来たかな、と思いを馳せているところ。

  歓喜の歌 [編集]
 フリードリヒ・フォン・シラーの詩作品『自由賛歌』(Hymne à la liberté 1785年)がフランス革命の直後『ラ・マルセイエーズ』のメロディーでドイツの学生に歌われていた。そこで詩を書き直した『歓喜に寄す』(An die Freude 1803年)にしたところ、これをベートーヴェンが歌詞として1822年から1824年に書き直したものである。一説にはフリーメイソンリーの理念を詩にしたものだともいう。
「歓喜のメロディー」は、交響曲第9番以前の作品である1808年の『合唱幻想曲』作品80と、1810年のゲーテの詩による歌曲『絵の描かれたリボンで Mit einem gemalten Band』作品83-3においてその原型が見られる。

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おお友よ、このような音ではない!
我々はもっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか
(ベートーヴェン作詞)

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上の楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
(シラーの原詩:
時流の刀が切り離したものを
貧しき者らは王侯の兄弟となる)
汝の柔らかな翼が留まる所で

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

すべての被造物は
創造主の乳房から歓喜を飲み、
すべての善人とすべての悪人は
創造主の薔薇の踏み跡をたどる。

口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を
創造主は我々に与えた
快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ
智天使ケルビムは神の御前に立つ

神の計画により
太陽が喜ばしく天空を駆け巡るように
兄弟たちよ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ

抱き合おう、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
父なる神が住んでおられるに違いない

諸人よ、ひざまついたか
世界よ、創造主を予感するか
星空の彼方に神を求めよ
星々の上に、神は必ず住みたもう
--------------------------------------------------------
この曲が終わると同時に、あとは正月を待つばかり。

googl検索より 終戦前後2年間の新聞切り抜き帳

 
 
  googl検索より「終戦前後2年間の新聞切り抜き帳」
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 googl画像検索より「終戦前後2年間の新聞切り抜き帳」
  2010.12.28  478件

これ迄の検索からでの数値としては最小!!ですね。

 あの戦争は、もう遥か過去の出来事として、こっそり載っている感じかな。
--------となると、限りなくゼロに近くなってこそ、本当に あの戦争が終了した、と考えるべきなのかも知れません。

google検索より 星と遊ぶ


●google検索より 星と遊ぶ

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昔の広告から

 
 
 朝日新聞 昭和45(1970)年、11月28日の一面広告。
 日本橋 高島屋 日本橋 三越、です。
 何となく時代が かなり違う感じがすのですが。
 ------- ご参考迄。

仮名手本忠臣蔵

 
 
  知ってましたか?。
 なぜ「仮名手本」なのでしょうか?。

いろはにほへ
ちりぬるおわ
よたれしつね
らむうゐのお
やまけふこえ
あさきゆめみ
  ゑひもせ 
 
この文字列の最後の文字を 立て読みにすると

 --------とかなくてしす-------

  咎(とが)なくて死す

と云うわけ----との事。
誰が考えたのでしょうかね。
誰かが、ほぼ偶然に気がついた--------そんなところでしょうなあ〜。
リクツから考えて そこに到達したとは考えられないような気がしますが。

2010年12月27日月曜日

テレビの写り方

 
 定期検診で出向いた病院での待合室で------全く問題なしに画像はキレイです。

 
 我が家の、この部屋のテレビで写すと黒帯が画面を走ります(眼視では感じない)。
 何か、それなりの原因理由があるのでしょうね。

散歩道から

 
 
 凄い寒さの夕方でのスナップ。
 どんな流れで、この二人が ここに居たのでしょうね。

散歩道から

 

 
 暖かそうな景色に見えますが、やはり現在は「冬」ですから、手先の冷たさもさる事ながら、かなりの気温の低さを感じる本日の散歩でした。
 ただ、お連れのの「まる」は当然ながら シャキッ!と決まっていましたよ。
 さすが 犬は冬の動物ですね。

新聞切り抜き帳

 
 

 
「終戦前後2年間の新聞切り抜き帳」です。
 小学校卒業を挟んでの2年間でした。
 中には、切り抜き のみならず、参考として当時の資料等を加えてあります。

 ただ、当時は何も判らぬ小学生でしたから、切り抜きした新聞記事写真の日付が入っていないのが痛恨の極みでしたね。
 
 戦争から50年後に、これをキチンと整理し2冊に纏めたのですが、御覧の通り、それすら各所にガムテープを貼って補強せざるを得なくなって来ました。

復刻版 新聞

  
 復刻版 新聞 太平洋戦争 上下 読売新聞社

 その中から、昭和20年1月1日 
 
 神風頼りのトップ文字を 御覧下さいませ。この頃となると、何事も <神風!> でしたね。