どこそこの誰かに通称赤紙と称せられていた召集令状が届くと、周囲で盛大な お祝いをするのが通例でした。載せた写真は検索から お借りしたものですが、お祝いをした後は、このように駅迄お送りするのも出征兵士を送る大切な行事だったでしょうね。
ただ、この光景は支那事変あたり迄で、大東亜戦争ではどうであったか記憶は定かではありません。
それに代わって、志願兵が発つ時は、駅前で、関係する友人知人同窓生等が輪を作って、中に本人を立たせて、一同で 軍歌、校歌 応援歌 等を歌って送り出すのが一般的だったと思いますね。
私の兄も、そのような中で、予科練に発って行きました。中学時代ですから16〜7歳だったでしょうか。
ただ、特攻隊に志願したとは云え、乗るべき飛行機が無いのが幸いしたと云っていましたね。終戦とほぼ同時に九州鹿屋基地から戻って来ましたが。
その兄貴は当然ながら加齢によって、とっくの昔に、改めて空の彼方へ飛び去って行ってしまいましたね。
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