晴れ間
さみだれの晴れ間うれしく、
野に立てば
野はかがやきて、
白雲を
通す日影に、
はや夏の暑さをおぼゆ。
行く水は少しにごれど、
せせらぎの
音もまさりて、
よろこびを
歌ふがごとく、
行くわれを迎ふるごとし。
田園のつづく限りは、
植えわたす
早苗のみどり。
山遠く
心はるばる、
天地の大いなるかな。
ふと見れば、道のほとりに、
つつましき
姿を見せて、
濃きるりの
色あざやかに、
咲くものは露草の花。
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いい詩ですよね。
以上、私の小学校6年生の時の 国語の教科書からでした。
その頃は、戦争の末期か、終戦のゴタゴタの頃か〜、ともあれ、何やかにやで、多分 教わらなかったような気もするのですが、仮に教わったにしても、このような詩を読む時でもあらず、空襲に怯えて、防空壕に行ったり来たりしていたのか、それとも終戦でのゴタゴタで、あれよこれよ、と、忙しかったのかどうか、それもわからずに終わってしまった、と云ったアンバイだったような気がしますね。
従って、覚えてもいない------との態度であれ、それは當然許される範囲だったでしょう。
ただ、この詩の最初のあたり(以下)の〜。
さみだれの晴れ間うれしく、
野に立てば〜云々
このへんは、キレイに 覚えているので、小さな箇所であれ、覚えているその事だけでも お宝のような気もしますので〜。
それはそれ〜、あの当時は、小学校を卒業すると、その後は、入学試験をやって 上級の学校に進学するシステムになっていたので、小学校時代の授業については 大半は忘却の彼方に消えてしまったのが多いとは云え、進学者向けの特別授業にも参加していたし、教科書の中身となると結構記憶に残っている箇所も多かった、と、そのせいもあるのかも知れませんナ〜。
この私が、小学校を卒業し、入学試験に参加し、合格して無事に上級学校に進学出来たのは昭和二十一年の四月、終戦後になっていましたね。
今思うに、私共は爆撃にも会わず、従って 戦災にも遭遇せず、恵まれた範囲で生き抜いたとは云え、全くのところ、酷い(ひどい)時代 でしたよなア〜。
と云ったところで、あの時代に 晴れ間があったなんて信用出来ない、と、切って捨てる 御老体もまだまだおられるのではありませんか。赤文字の箇所を見なされ、と申されれば
云うスベもありません------あれは「召集令状が来た、軍隊に来い」との内容ですものね。
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