2010年7月22日木曜日

私の兄は特攻隊員(すめらみくにのもののふ)でした。



上 私の兄の同級生、Aさんから戦争中に頂いた葉書。
下、予科練に行った長兄(T15年生)。

 Aさんからの文面が以下。
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彰君、兄ちゃんは立派な 空の神兵 となったのだよ。
兄ちゃんが居なくても悌二君(※ 註:私の次兄)や姉ちゃんの教えに従って
一生懸命勉強しなさい。
其して、何時もニコニコと笑顔で学校へ行きなさい。
来年は六年で彰ちゃんも中等学校だね。
今から準備して頑張って下さい。自分の弟も今二中(※ 註:市内の第二中学校)の
一年生で彰君と非常に顔が似てゐるので君を見る度に
なつかしい思いがします。
自分も日飛(※註:下記に別途書いた。)へ行って一生懸命働いて居ります。
亦十九日は休みですから兄さん(註 :私の次兄)と二人で遊びに来なさい。
其して一緒に真チャン(私の長兄、予科練生)の武運長久をお祈りに千歳山(※ 註:市の郊外にある。)でもよい摩利子天様(註:神社)にでもよいから行きませう。
では母ちゃん姉ちゃんの言ふ事をよく守って勉強しなさい。

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 昭和19年5月15日の消印のもの。

 この頃の人々の精神状態は、一見普通のようでありながら、底流には なんとも表現しがたい悲壮なものがありましたよ。
「日飛(当時山形にあった飛行機工場)」で働いていた芦野さんも 結局は志願兵として行ってしまったのでした。聞けば特攻の戦車隊だとの事(但し、戦後無事に帰還して来ましたが)。いずれも皆17~8歳の、まだまだ少年の頃だったわけですよ。
 特攻隊の一員として九州 鹿屋飛行場に行った私の兄も ともかく無事 帰って来ました。
 

 追記

 我が家に戻って来た兄のその後はどうであったか。まあ〜〜、極端に申せば 飲んだくれの毎日でしたよ。その酒は、通常 考えるような、破壊された己のマイナスを埋め合わせるべくの行為であったとか高尚なものではなくて、別にやることのない毎夜をキャンセルさせるだけの行為、それだけでした。

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