記省子が王のために闘鶏を養った。十日たつと王は訪ねた。
「もう鶏を闘わせてもよいか」
「まだです空威張りして、意気込むばかりです」
十日たって王がまたたずねると、記省子は答えた。
「まだまだです、まだ相手の声を聞いても、姿を見てもいきり立ちます」
十日たって王がまたたずねると、記省子は答えた。
「まだまだです、まだ相手をにらみつけ、気負い立ちます」
十日たって王がまたたずねた、すると記省子は答えた。
「申し分ありません。相手の鶏が泣き叫んで挑発しても、いささかも動ずることはありません。離れて見ると、まるで木彫りの鶏のようです。無心の徳が完全に身に備わっています。他の鶏もこれには相手になるものもなく、背を向けて逃げるでしょう」
「もう鶏を闘わせてもよいか」
「まだです空威張りして、意気込むばかりです」
十日たって王がまたたずねると、記省子は答えた。
「まだまだです、まだ相手の声を聞いても、姿を見てもいきり立ちます」
十日たって王がまたたずねると、記省子は答えた。
「まだまだです、まだ相手をにらみつけ、気負い立ちます」
十日たって王がまたたずねた、すると記省子は答えた。
「申し分ありません。相手の鶏が泣き叫んで挑発しても、いささかも動ずることはありません。離れて見ると、まるで木彫りの鶏のようです。無心の徳が完全に身に備わっています。他の鶏もこれには相手になるものもなく、背を向けて逃げるでしょう」
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昭和の大横綱であった双葉山は無類の強さを発揮して連勝を続けていたが、七十連勝をかけた昭和十四年一月の春場所四日目、新進の力士安藝の海に倒されて連勝は止まった。その翌日も、またその翌日も敗れた。
「ワレイマダモツケイタリエズ」
この時双葉山が後援者に打った電文である。
振り返るに、私自身もいまだ木鶏の心境に達しておらず平常心を失うこともある。
まだまだ修行が足りないということであろう。
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これは以前にも載せた事が あったのですが、探しても見当たりませんでした。
カットした記憶もなくどうしたものやらと不思議に思っているところ。
最近は、この種のトンチンカンが、めっきり多くなりましたね。
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