この落ち穂拾いは、これも戦中から戦後にかけての小学校時代だったと思うのですが、学校の事業として 私共も やらされた記憶があります。場所は学校近くのタンボでした。
拾った落ち穂は精米所に出され、米として利用されるとの事でしたが、後日聞いた範囲では、土や砂の混入がひどくて、モノにならず大半は棄てた、と聞き及んで、がっくりと来ましたね。
これと同じように、何かの草?も拾い集めて各人 家に持ち帰った覚えもあるのですが、これも同様、異物が多いと云うので、棄てられてもヤムを得ないところ、母親は終日かけて異物を除くため頑張っていましたね。
母親にとっては、棄てるのは簡単だったにせよ、やはり頑張った子供に報いたい気持ちもあったのでしょう。
ただ、そう聞いて、何か悪い事をしてしまった感じがしたものでした。
------------- そんな事、涙の出る思いをしたのは、母が亡くなって かなり経ってからの事でしたよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿