2010年12月8日水曜日

あるサイトへの投稿文

 戦争に邁進する覚悟でいた  斉藤 彰 (当時:国民学校2年生)
                             
 私は山形市生まれです。 昭和16年12月8日、うっすらと雪が積もっていて寒い朝だった記憶があります。

 月曜日だったので生徒一同講堂に集められて校長先生から開戦の知らせを聞きました。国民学校2年生の時です。

 ----------- 然し、どれだけはっきり覚えているか、となると、それ程正確な記憶としては残っていません。なぜ開戦なのか全く知らなかったわけですから、ただポカンとして聞いていただけだと思います。


 家に帰ってからどうしたか・・・とか、翌日はどうだったか・・・となると、更に覚えていませんね。

 その後、矢継ぎ早に入ってきた戦果---真珠湾攻撃から、そして香港陥落...等々、----それらについても、万歳!、万歳!、勝った!、勝った!---と、まわりに調子を合わせて、はしゃいでいた程度でした。

 やがて、翌年の2月、シンガポール陥落、そして祝勝の提灯行列、と、その頃から次第に状況認識がはっきりしてきた感じがします。
 
 とにかく、大勝利の気運に乗って、私も「天皇の赤子(せきし)」として必勝の信念に燃えていましたよ。数々の戦果が連日報じられていた事にもよるでしょう。

 従って、戦争を疑う気持ちなどコレッポッチもありませんでした。

 私は大日本帝国の少国民として、大いなる誇りのもと戦争に邁進する覚悟でいたのです。

  ------------------ 以上、さしたる記憶ではないにしろ、今とはなっては12月8日を覚えている事自体が自分自身の「お宝」なのだと、これまで以上にその記憶を大切にしていきたいと考えているところです。

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