2012年3月2日金曜日

B29他


 

 名古屋地区に来襲した B-29
 
我が軍の奮闘ぶりを詳しく書いてありますが蒙った損害に対して迎え撃った戦果はあまり華々しくはありません。

 いつもの紋切り型の記事で埋められているだけの文章です。

 なお、写真の中に書いた文章は「--夜空にこんな形でB-29が写るとはとても考えられない。

 これは絵に描いた写真だと思うのだが・・・」と書いてあります。後年私が書いて付け足したものです。

 当時はそこまで正確な見方が出来るほどの自信はありませんでした。

 然し、そう云えばそう思える写真ではありませんか?--そう思いませんか?。

 確かに、絶対の自信はなかったものの、あの頃は そう考えて切り抜いた写真。


 
 B-29 は超高空を飛んで行くので、その時 エンジンから「飛行機雲」吐き出す----

 それは、その頃初めて知った興味ある現象でした。
 ただ上の写真では、飛行機雲はエンジンからではなく 尾翼から吐き出しているで おかしいと思っていたのですよ。
 吐き出すのはエンジンからですから尾翼からでは 絶対におかしいですよね。

 -----つまり、この写真では、誰か よく知らない者が間違って修正をする段階で描き加えたか、又は、もしかして、修正を加えたのではなくして、最初から全体を意図的に都合よく描いた「絵」なのではないかなあ~~と、

勘ぐるのですが どうでしょうか。多分、いや 絶対に そうだったでしょう。

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( 追加したコメント )
 下記は 最近、とあるメル友の掲示板の載せた文面です。

    
名古屋空襲の時の新聞写真です。 当時の「新聞切り抜き帳」から載せてみました。
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 東京空襲以外に、その他の都市となると名古屋空襲のみ切り抜いてあるので、どうして名古屋か その理由を思い出してみたのですよ。どうやら名古屋のこの2 枚の写真は「写真」でなく、手で描いた「絵」らしいと判断して切り抜いたものでした。夜空に これだけ 白く はっきり写るのも変だ し、更に、飛行機雲とは、本当は4 発のエンジンから4本並んで出る筈のものが、尾翼から出ているのでオカシイと思ったのですよ。
 オマケに急旋回して飛んで行くB-29と その飛行機雲の方向にズレがあります。(B-29は機首を持ち上げて いるのに、飛行機雲は下向きになっている。)
 ※当時の私は 小学校6年生。
      
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 然し、「絵」ではなく あくまでも「実写」なのだ、との主張もあるかも知れませんね。とすると...夜空でなく、昼の写真を ひっくり返して夜にした?。又は 昼の空をRフイルターでも使用して写した?? ---- 信じられませんが。その場合 揺れるこちらの飛行機の窓からカメラ(スピグラ?)を構えて、露出時間はどのくらいかけたでしょうね。因に、当時の通常フイルムの感度はASA30だった筈。超感度のフイルムがあったのかも分りませんが、それにしても飛行機雲と、B-29のアングルがオカシイ点は解決されません。
 (なおピンクのコメントは後年書き加えたもの。)
 やっぱり ここでの写真は「絵」ですよ。 今 考えても、あとで創作した 写真に似せた「絵」、これに間違いありませんナ・・・。
(因に、 ここでの新聞は「毎日新聞」)
       
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 夜空のB-29の写真は、これ以外にも数枚残っています。然し、そのいずれも写真としたら おかしいと思える写真ばかり。ただ、完全に?ウソっぽいのはこの名古屋での写真ですね。
                
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 写真の日付けは9日と22日とだけ記入してあります。東京は3月に大きくやられたので 名古屋は多分 今頃の4月だったかな、と考え、ネットで調べてみると、名古屋には 延べ111回 B-29の空襲があり、11.500人の死者、165.000戸が全半壊、とありました。これじゃ実写だとしてもは いつの月やら判断出来ません。....それにしても恐ろしい数字!!。
 
          
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 因に、私の方は 結構 冷めた目で戦況を見つめていましたよ。山形は 諸般の理由から空爆される筈はないと読んでいました。(誰かが、敵の爆弾一個は凄く高価で、そんなモノで山形のボロ家を爆撃したところでワリが合わない・・・そう云ってたのですよ。成る程と思いましたね。本気にしました。----但し、それはヘンなリクツだとは思ったが。) 更に、沖縄陥落から九州に敵が上陸して来て山形に到達するまでは 、いくら早くても半年はかかるだろうし、と、その間どう情勢が急変化するか判らないし・・・そんな風にも考えていましたね。
    
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 然し、原爆は想定外、次いで ソ連参戦、と続き、更に、天皇が手を挙げて降伏を宣言する ----勿論、そんな事態までは読み切っていません。いくら何でも大人も分らない状況の中、子供には到底はムリ。
          
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 ただ、玉音放送で終戦を知り、泣き悲しんだか?それもありませんでしたね。「----- ありゃりゃ~~~」そんなところだったかな。その気持ちは、まわりの小学生の平均的な心情だったと思いますが?。然し、それは子供のみならず、大人でも泣いた大人はいなかった!。逆に、これで平和が蘇ると快哉を叫んでいた者もいませんでしたがね。
 まあ~~どう考えていいものやら、茫然自失!!.虚脱状態!!..これだったでしょう。
             
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  今回は ちょっと ややこしい話になってしまいました。ご免あそばせ。
 
(2006.04.17)         .


  飛行機雲と云うものはB-29が飛んで来て始めてお目にかかったものでした。
 B-29は気密室を持っていたので高度1万メートルの上空を飛ぶのも可能。一方、8000メートルの射程しか持たない日本軍の高射砲は役に立たなかった、とか。又、B-29の速度が500キロを越えていたので、追いかけられる戦闘機が日本にはなかった。とか、とも聞きました。
 文字通りB-29は「独走」して飛んで来たのでしょうね。

 首都圏に配置されていた高射砲は10cm口径のもの。但し、これではB-29の飛行高度まで到達しなかったので、急いで作ったのが15cm口径のもの。これを二台。その一台を富士山を通るB-29のコースの途中、それは確か国分寺附近だと思いましたが(もう一台は忘れた。)設置したと云います。但し、命中精度が極端に悪く、又、移動が不可、加えて、それを知った米軍では翌日からB-29のコースを変更してしまったので、結局は役に立たなかったみたいでした。(憶測でしか書けません。ご免なさい。然し、かなり正確なハナシだと思いますよ。)

 以上、切り抜き帳からでした。

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